「なつめさん、3年前くらいにショートしたことってあったりします?」
上京して初めて行った美容室のスタイリストさんが言った。図星だった。
その人はやっぱりというように、思いきって切ったけど、恐ろしいくらいに似合わなくて、以来伸ばし続けた髪を梳いた。
◎ ◎
「頑張って伸ばした形跡がありますよ。ほら」
髪をひと束持ち上げて、毛先へ手を滑らせていく。短い毛がはらはらとこぼれ落ちる。
「ショートって内側を長くして、そこに短くした外側の髪を持ってきて丸みを出すんですよ」
どうりでここ数年アホ毛が気になるわけだ。
「伸ばし中なら、長さのこしつつできるだけ短い毛に合わせて少しづつ長さ揃えていったら時間はかかるけど綺麗になりますよ」
それでお願いしますと言うと、手際よくシャンプーを済ませ、チョキチョキと小気味よくハサミを入れ始めた。
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「ショートしたの人生で一回だけなんですよね」
「ですね。元々圧倒的にロング派で小学生の頃なんかメンテナンスカットでもしたくないくらいでした笑」
「なんでそんなバッサリいこうと思ったんですか?」
「失恋とか?」
戯けたように聞く声が3年前の友達との会話に重なった。
「なつめちゃんどうしたの⁉︎失恋した?」
「ばーか、そんなわけないじゃん。なつめは一昨日リア充なったばっかだよ」
目の前で自分のゴシップが広まる様を他人事のように思った。
私は確かに周りから見れば充実して幸せに見えただろう。私にべた惚れで、好き好きオーラが隠しきれてない男子から告白され、私も首を縦に振ったのだから。中には博愛のなつめが彼氏を作るなんてと騒ぐ人達もいた。
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でも、それはあくまで‘周りからみた私’でしかない。
私はずっと前から博愛なんかじゃなかった。好きな人がいて、両想いだったはずなのになぜか上手くいかなくて。「なつめちゃんのこと嫌いになったわけじゃないけど、中途半端なのも失礼だから」。
彼からのLINEは既読をつけてしまったのにずっと返せないままで、しばらく固まるしかなかった。その後は何もなかったかのように取り繕ったけれど未練たらたらで、その人とすれ違うときに目を合わせることさえできなくなっていた。
告白してくれた彼のことは好きだったけれど、好きの種類が違うのは明らかだった。
普通に仲はいいし、これから好きになれるかもしれない。
中途半端な気持ちでは失礼だ。
そろそろ未練断ち切らないと。
もう恋愛なんてしばらくいい。
失礼って理由が一番傷つくなんて思ったのは誰よ。
好きバレしている彼から告白されるだろうということなんて分かりきっていたけど、いつまで経っても自分の気持ちがわからないままだった。
◎ ◎
白い満月の夜だった。
「好きです。付き合ってください」
彼らしい、混じり気の無い言葉だった。彼らしくない緊張した面持ちだった。彼の目が真っ直ぐに私を見ていた。
この人は私がいるだけで幸せになってくれるんだろうな。私がそうなるはずだったように。そう思ったらあんなに迷っていたのに「はい」と答えてしまっていた。
駅までの帰り道、すっかり緊張から解放された彼は、すっかり饒舌になった。これでよかったのかな。少し肩の荷が降りた気がした。
なのに。
「いつから?」
それが「いつから俺のこと好きだったの?」という意味だと理解したとき、落ちていった荷とは別の何かが私の上にのしかかってくるのを感じた。
私、これで、よかったのかな……?
◎ ◎
ヘアドネーション用にと結んだ髪に、ジョキジョキとハサミを入れた。いつか彼がそっと撫でてくれた髪が容赦なく切り離された。
それから心配になるくらい髪を梳かれた。
案の定仕上がりは最悪で、でも今の自分には合っている気がした。
あれから3年、傷はちゃんと古傷になった。けれど、3年が経ってもただ長いだけで元の綺麗なロングヘアには戻らない私の髪はやっぱり、私らしい。
いつかもっと時間をかけたらスタイリストさんが言うように跡形もなくなるんだろうか。