ある日、職場で出会った女子が肩を丸めながら欝々とこういった。
「二重手術するっておじさんにいったら、自己肯定感が低い醜形恐怖症だって言われた」とのこと。はっきり言って何を言っているのかわけがわからなかった。

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彼女は、確かに自分に自信が持てない性格をしていると思う。会話をしていると自己否定の言葉がぽつり、ぽつり、と出てくるから。でも、今回の整形については逆に「自分に自信を持つために」行うものだと思っていた。そのために仕事を頑張って貯金をして、病院を探して、カウンセリングも受けていた。

その行動力は彼女を魅力的にしていたと私は思っていた。楽しくないと言っていた仕事も、なんとかこなして、一人だと不安だと言っていたのに、いくつかの病院の見学までいって、彼女の背中が徐々にピンと伸びていくのを見るのは、気持ちがよかった。

それなのにどうだ。今の彼女は小さく肩をまるめて、まるで叱られた子どものようだ。私はひどく悲しくなった。だから、私は正直に話した。

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「整形をするために頑張っていたあなたのほうが魅力的だった。おじさんはあなたを醜くさせる天才だ」。
今度は、彼女が何をいっているのかわからないという顔をした。そりゃそうだろう。言葉足らずもいいところだから。

「整形するもしないも、正直どうでもいい。でも、整形するために頑張っていたあなたは魅力的だった。けど、今のあなたは全くそうじゃない。おじさんがあなたの自己肯定感を奪っていったからだと思う。それは、ひどい話だ」。

はっきりと彼女の目をみてそういうと、彼女の愛らしい目からじわじわと涙が溢れてきた。その愛らしい瞳を、もっと綺麗に見せたくて彼女は二重手術をすると言っていた。

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正直、今の若い世代の中だと整形はメイクと同じくらいの感覚なのではと思う。もしくは髪の毛を切るとか、それくらい身近な存在。

でも、彼女のおじさんの世代は信じられない悪のような行為に見えたのだと思う。この感覚の違いをすり合わせていくのは難しい。おじさんが整形を悪だと思うのは自由だし、私たちが整形を身近に感じるのも自由だ。

ただ、今回のことでわかったのは、整形はきっと人の外見だけではなく中身だって変えてくれるのかもしれないということだ。そのことに気づけぬまま、否定の言葉だけを述べるのはあまりに寂しい。

それから、彼女はおじさんの反対を押し切って二重手術をした。
自分で稼いだお金で、自分の責任で。そうして彼女が次に私の前に現れたときに、とびきりの笑顔を向けてくれた。「ねぇ、かわいくなったかな」へらりと笑う彼女の瞼はまだ少し腫れていた。けど、私ははっきりという「うん、あなたの笑顔そんなに素敵だったの、初めて知った」

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それを聞いた彼女はゆっくりと私の前に座って話を始めた。
「私、自分の顔が嫌いだったのは確かなんだけど、性格も嫌いだったの」。

彼女いわく、いつも何かを始めても中途半端になってしまう自分が嫌いだったのだという。人の意見に左右されて、結局疲れてやめてしまったことが何度もあったようだった。
「けど、万里さんが整形について頑張る私が魅力的だって言ってくれたから」
これだったら頑張れるかもって思って、といいながら彼女はまだ少し腫れている瞼にそっと触れた。

「腫れが引いたら、もっと可愛くなると思います」そういう彼女は、私が好きだった背筋をピンと伸ばした彼女だった。

「そうだね、うん。もう十分魅力的だけど、ますます綺麗になっていくんだね」。

現代、整形に対する考え方は大きく変わっていった。きっと私たちの父親世代の人たちは、整形と聞くだけで驚いてしまうだろう。でも、仮に顔にメスをいれたとて、私たちがまるごと変わってしまうわけではない。ただほんの少し、背筋を伸ばせるようになるのだと思う。だから、背筋を伸ばせるような世界を一緒に作っていってほしいと父親世代の人に手を伸ばしたいと私は思う。