エラが張った丸顔に、一重の目と、まるみを帯びた低い鼻。バレーボール部時代に鍛え上げたものの、引退して脂肪と化した、たくましさを感じさせる太ももと腕…。自分の顔、体で気に入らない部分を挙げろと言われれば、いくらでも出てくる。コンプレックスをどうにかして、理想の姿になりたい。美しくありたい。女性として生まれたなら、願っておかしな話ではないだろう。
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学生時代、アルバイトを始めると、“小顔になれる“と謳い文句の顔面矯正やマッサージ、脂肪が除去できる痩身エステと、あらゆるサロンを探しては試した。確かに、施術後は変化を感じられた。「効果を高めるためには、継続が必要」。たいてい、定期コースの契約を勧められた。やってみたいと興味をかきたてられたものの、気が進まなかった。
コンプレックスは自分の努力で解決してこそ克服できるもの。人の手を借りながらも、心のどこかでそう思っていた。実際問題、契約するための多額のお金を捻出するほどの余裕は当時なかったし、一生続けられるわけがない。社会人になって自由に使えるお金が手に入ってもなお、考えは変わらなかった。
幸い、化粧をするようになった高校生の時、アイプチが習慣化し、気付けば奥二重を手に入れていた。5年ほど前から、強度が高めのヨガレッスンを継続して受講しているからか、脚や腕は許容できるサイズまで絞れ、着られる服の幅が広がった。嫌いな私と、ちゃんと向き合ってきた証だ。
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自分の力でどうにかしてきた。一方、一生付き合っていかなければならない、どうにもならないコンプレックスもあると悟った。年齢を重ねる中である時、覚悟した。というより、知らず知らずのうちに、多少、気に入らない部分があっても受け入れられるようになっていた。
どれだけセルフマッサージをしてもエラはなくならないし、ダイエットしてもスタイル抜群にはならないのだ。諦めに近いかもしれないが、いつまでたっても好きになれない丸顔を「かわいい」とめでてくれる人もいるし、スタイルよく見せられる服の選び方が分かればるようになるとファッションも楽しめる。
人生を振り返って、自分の姿に満足した時代なんてなければ、理想の女性に出会っては、恵まれた美貌をうらやましくなる。だけど、自分の嫌いなところも、見方を変えれば魅力の一つになりうる。まるごと愛してあげれば、どんな時だってありのままの自分を認めてあげられる気がする。
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友達の中には、プチ整形に踏み切った子がいる。念願の二重を手に入れた彼女の表情は、どこか自信に満ちあふれていた。確かに、数万円で理想の姿を手に入れられるなら安いものだし、稼いだお金を自己投資に回しているだけだから、努力あってこそできる選択だ。整形を否定はしないし、私だっていつかはする未来が訪れるかもしれない。
極論、していようがしていまいがどちらでも構わない。その人が今の自分を好きでいられたら。唯一、認められないのは、整形した人に対して批判する行為だ。美しくありたいともがいて、何が悪い。人の生き方にケチをつけるくらいなら、自分にもっと目を向けてみないか。今以上の素敵な自分に、出会えるかもしれないから。