絶対に、一人暮らしがしたかった。

早く実家を出たくて、そのために新卒で入った会社の給料から必死に貯金した。
入社から一年半、実家から三十分以上かかる会社まで自転車を漕いで通って、百万円貯めた。

ようやく叶った、念願の引越し。
それから半年も経たずに、勤めていた会社を辞めた。

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家族仲が悪いわけではなかった。
ごくふつうの、周囲より少しだけ教育熱心な家庭。

あまり上品とは言えない学区内で、中学受験に向けて塾に通う小学生の私は浮いていたけれど、受験に挑戦させてくれた両親には感謝していた。でも、だんだんと、両親の期待がプレッシャーになっていった。

第一志望の私立中学に入学してから、勉強に身が入らなくなった。
頑張っても頑張ってもさらに上を求める両親の言葉を、重荷に感じるようになったのだ。

中学、高校と、結局成績はあまり伸びることなく、志望大学は途中で公立から私立に変更した。大学でも単位ギリギリの生活を送り、なんとか留年も就職浪人も免れて、実家から通える距離にある会社に就職した。

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精神的にきつい時期はあったものの、私自身は困難や葛藤を乗り越えて、それなりにサバイブしてきたつもりだった。

でも、両親の私に対する評価は、「何のために高い教育費を払ったと思ってるんだ」というもの。長い学生生活を終えた結果、期待に応えられなかった、という苦い思いが残った。

就職した会社は、業務内容は好きだったけれど、人間関係やこまごまとした決まりごとが窮屈に思える場所だった。

毎日のように、会社のビルの窓から外を見下ろし、家に帰ったら自室の窓から夜空を見上げた。

「絶対近いうちに、ここから出て行ってやる」
そうやって、常に決意を固めていた。

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実家からも会社からも離れてから感じたのは、またとない解放感だった。

これでもう、私の人生を縛るものは何もない。
私はこれから何でもできる。何者にでもなれる。

そう錯覚したのも束の間。

離職してわずか数ヶ月後、世界にコロナウイルスが現れた。

アルバイトをしながら転職活動をして、今度こそ自分らしく生きられる仕事を見つける…という密かな夢は、早々に破れた。アルバイトのシフトすらままならず、始めて一ヶ月もしないうちに辞めることになった。

誰もいない自宅に籠り、スーパーやドラッグストアとの往復を続ける日々。私は何にも挑戦することができず、何者でもなくなった。

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自己都合退職で失業保険を受け取るには、約三ヶ月の待機期間が必要だった。
その間の生活費を少しでも節約したくて、私は実家に帰ることにした。

久しぶりに帰った私に、両親は何も言わなかった。
大学のリモート授業を受けるのに忙しい妹と、仕事の半分以上がテレワークになった両親と共に、実家で過ごした期間はとても穏やかだった。

「実は、会社辞めたんだ」と母親に告げると、「そう」とあっさりした返事が返ってきた。

あの頃、世間が未曾有の事態に陥ったことで、私が会社を辞めたことなんてほんの些細な出来事に思えた。

「健康で、生きててさえくれたら何でもいいから」
特に重くもない調子で、母親は続けた。

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両親のプレッシャーから逃げ、実家から逃げ、会社からも逃げた。

逃げたことで感じた自由と孤独は、自分だけが世間から外れたような束の間のアウトロー気分は、コロナウイルスによって一瞬で掻き消された。

結局、私は無職である自分の立場からも逃げ、あんなに離れたかった実家に舞い戻ってなんとか食い繋ごうとしている。

でも、逃げ込んだ先の穏やかな暮らしは、思いのほか心地良かった。

それなりにサバイブして、ここまで生きてこられてよかった。心からそう思うことができた。

その後、失業保険を受け取ってからアルバイトを転々とし、私が新しく自分のやりたかった仕事ーライター業と校正業ーに従事するようになるのは、もう少し先の話。