決して逃げていたわけではありません。が、浮気しておりました。エッセイのことです。
この1か月程、かがみよかがみのエッセイの投稿をお休みしていました。2022年2月頃から、4週も意識的に投稿を逃し続けることは初めてのことでした。

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理由その1。勤めている会社が繁忙期を迎え、精神的にも体力的にも時間的にも余裕がまったくありませんでした。

そして理由その2。6月から脚本ワークショップに参加し、そちらに注力していました。つまり、浮気です。エッセイを4週間も書かなかったことで、少しずつつき始めていたエッセイの筋力はすぐに衰え、復帰第2作となるこのエッセイを書いている時も、その落ちた筋力をひしひしと感じているのです。

だから、正確には、逃げてよかったことなどなかったのです。Youtubeであの動画を見ていた30分や、通勤時間のあのゲームの時間に、エッセイに取り組むことはできたのですから。逃げたよかったことなどありませんでした。でも、エッセイ執筆から逃げて、分かったことならある。今日はそのことについて書こうと思うのです。

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小さな頃から文章を読むこと、書くことが好きでした。学校内の作文コンクールで優秀作に選ばれ朝礼で全校生徒の前で発表されたり、学年だよりで毎回のように掲載されるなど、「好き」はいつの間にか「得意でもある」と密かに自信を育てていきました。

その自信が確信に変わったのは、高校生の頃でした。エッセイコンテストで良い成績を収めたり、本当に些細なことですがFacebookやブログの投稿が毎度面白いと友人に褒められたり、高校3年生の頃に自分が脚本を書き主演を務めたクラス劇が、文化祭全体の第2位に投票で選出されたり。演劇経験者の友人から「今回の文化祭に『脚本賞』というのがあったら、断トツでまよだと思う」と褒められたときは、内心のにやけを表情に出さないようにするのに苦労したものです。

紆余曲折して入った大学では、ある全国的なエッセイコンクールで最優秀賞を頂きました。そして社会人になってから、かがみよかがみに出会いました。書くことの楽しさを再認識し、同時にコミュニケーション部門の年間1位を頂いたりコラボイベントのエッセイに選出されたりするなど、自信過剰さは増大していくばかりでした。本音を言えば、「私って特別な才能あるのかもしれない。ある種の天才なのかも」と思っていたのです。ええ、素直になりますとも。

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そして、演劇の脚本ワークショップの受講生募集のお知らせを目にしたのです。演劇の脚本を最後に書いたのは、高校3年生のあの文化祭のクラス劇が最後でした。でも、参加をすぐに決めました。自信過剰な私は「エッセイみたいなノンフィクションだけでなく、私はフィクションにも才能ある!」と思ったのです。

そして、更に言えば「講師の先生から、才能を見初められて、『君は天才だ!ぜひデビューしてくれ!』と言われたらどうしよう……」と、狸もびっくりの皮算用をして、応募の電話をかけたのでした。

そして大きな期待と増大した自信を胸に、脚本のワークショップが始まりました。結果から簡潔に言います。私はとんでもない、凡人でした。しかも、過去の栄光が忘れられない、たちの悪い凡人でした。

なぜ自分が凡人だったと気づいたか。同期18人のこのワークショップで、自分の凡ぷりを痛感させられた瞬間は枚挙にいとまがありませんが、大きく分けると2種類の衝撃がありました。

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まず、第1に、なによりも発想力と構想力が違いました。身の回りで起こった会話を脚本に起こす課題が出されたとき、私も私なりに面白い着眼点のものを思いついたと思ったのです。が、勘違いでした。隣の席に座る60代のマダムは、ジョギングする際に、自分の自重を支える足の裏と自分のケンカを書いてきました。

たった400字の中で大きな笑いを生む脚本を書いてきた人もいれば、落語のようなオチをつけて感心させる人もいました。いつもエッセイを書くときに2,500字でなんとか何かを生み出した気になっている私は、笑いも感心も気づきも生むことはできませんでした。凡人でした。

そして第2に、これが最大の理由ですが、他の受講者の皆さんとの熱量の差を感じたのです。脚本の種となる5W1Hを1種類考えてくればいい課題に、36種類考えてきた人がいました。

私が仕事の忙しさを理由に中途半端に仕上げた脚本案を、9パターン考えてきた人もいました。1週間ずーっとこの脚本案を考えてきたんですよね、と教えてくれた女子高校生は、10分尺の脚本を、1時間の長尺の超大作を練りあげてきました。講師の先生が授業の際に例に出す、様々な映画や舞台や俳優名に、私と違って楽しそうに笑顔でついていっていました。

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才能の違いは勿論あったのかもしれません。でも、何より感じたのは、皆さんとの「好き」の熱量の差でした。高校時代少し劇の脚本で褒められた経験と自信があった私は、10年前の栄光を振りかざしていた自分をとても恥ずかしく感じたのです。脚本を考えることはとっても楽しかった。でも、私の「好き」の極致は、ここではなかった、と強く痛感したのです。逆に言えば、私はこの分野では、「凡人」でいいと思えたのです。エッセイでは、そんなのは絶対に嫌だったのに。

そして、今もワークショップを受けている途中ですが、エッセイ投稿を再開させました。エッセイを書かなかったこの4週間、どこか気持ち悪く心地の悪い思いをしていました。

エッセイを書くことはいつの間にか日常になっていたことを浮気して初めて知ったのです。

今カノに振られて、こっちが振った元カノに「今こそ分かったお前の魅力!よりを戻してくれ」と」言っているようなダサさは否めません。が、みっともないのを覚悟して、もう一度口説かせください、エッセイの女神様。今度こそエッセイに、誠実に一途になるから。もう一度私に振り向いてください。お願いします。