「逃げるのは弱いやつがすることだ」とか「逃げるのは卑怯だ」とか言うけれど、“逃げること”についてマイナスなイメージが付き纏うのは一体何故なのだろう。
誰だって逃げたくなるときはある。仕事が苦しいとき。勉強がうまく進まないとき。何をやってもうまくいかないとき…人はそれぞれ悩みを抱え、その悩みと付き合いながら生きている。
でも世の中は時々、そんな人たちを「弱いやつだ」と決めつけることがある。
でも私は「逃げたい」と思うことは決して悪いことではないと思う。“逃げること”は自分を守る術でもあり、実際に自分を守ることがあるからである。
私は今まで自分は弱い人間だと思うことも多々あったけれど、「あのとき逃げてよかった」と思うこともある。
今日はその一例を紹介したい。
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私が「逃げてよかったな」と思うのは、いじめから逃げたときである。
私はいじめから逃げるために公立中学ではなく、私立中学へ入学した。中学受験をするために必死に勉強を頑張った。全てはいじめから逃げるためだった。
私が逃げたら他の人がターゲットになってしまうことも考えた。そうなれば私の代わりに誰かがいじめられることになる。でもこれ以上、あのメンバーと一緒にいることは私の精神が受け付けなかった。心が持たなかった。
仲間はずれにされ、無視をされ…物を隠され、捨てられて…物をぶつけられて怪我をする。
そんな地獄に残れという方がもしかしたら酷なのではないか?
私は自分に対してこれ以上「頑張れ!どうにかなるから!」とは言えなかった。
逃げるために相当勉強したし、逃げるために我慢も積み重ねてきた。
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私をいじめていた子たちは可愛くていわゆる陽キャと呼ばれるグループに含まれていて、このまま順風満帆なエンジョイ生活を保障されている。あの子たちにはキラキラした未来や将来が見える。
でも私は、あの子たちにいじめを続ければ死を考えるかもしれないし、実際に死んでしまうかもしれない。人間関係に悩みすぎて生きる気力を失ってしまうかもしれない。自分を見失うかもしれない。明るい未来を黒く塗りつぶしてしまうかもしれない。そうなったところで押し付けられるのはおそらく“自己責任”で、誰も助けてくれやしない。だったら、自分で自分を救うしか方法はない。
だから、私は逃げ出した。
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逃げるのが弱いとか言っている暇はない。逃げ出さないと私が殺されてしまう。いじめによって殺されて、そんな自分が嫌になり、いずれ自分に殺されてしまう。私はそう考えたから逃げ出した。
そんな人生をどうにか変えようと足掻いた私は“逃げること”を選択した。
この選択は間違っていない。後悔もしていない。
だってこの選択のお陰で、私は今も生きているのだから。
みんな逃げていい。逃げ出していい。ありのままの自分を生きよう。
自分を殺さずに生きるためには、息苦しさから逃げ出すためには、自分らしく生きるためには“逃げること”が必要かもしれないから。