私には10年追い続けた夢があった。10年。夢にしてから叶うまで10年。
人生に影響を与えるには充分すぎる時間だと思う。
私の夢は「グランドスタッフになること」だった。
グランドスタッフとは空港のチェックインカウンターやラウンジ、搭乗ゲートにいる、いわゆる空港の地上職だ。

中学に入学する頃には揺るがぬ将来の夢としてこの職業を選んでおり、そこから夢に辿り着くまで我ながら順風な方だったと思う。習い事として英会話教室に通っていた影響もあってか英語が1番の得意科目となり、親が見つけてくれた英語に特化した個人塾に通うようになってからは、英語の成績は基本学年1位だった。中学・高校と同じ業界を目指す友人にも出会い、互いに励ましあって英検を受けたりもした。オープンキャンパスに行ってレベルが高すぎると思っていた外大にも、指定校推薦をもらえ合格することができた。
外大入学後も勉強が苦ではない私は在学中に資格を幾つも取得したり、インターンシップで海外の空港で働いたりした。そしてこの経験をネタに就活へ進み、無事内定をもらってとうとうグランドスタッフの卵に辿り着く。ここまで読んで、なんて順調な人生だろうと思った人もいるのではないだろうか?自分でもそう思う。

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しかし人生とはうまくいかないものだ。国際線に配属された私は、同期ともなかなか打ち解けられず、慣れない業務でお客様に怒られお客様の前で先輩にも怒られ、実家にも飛行機で1日がかりのため帰れず、ストレスフルな毎日だった。

だが、新卒なんて皆そんなものだ、病まない人の方が珍しいと言い聞かせ、空いている時間はすべて膨大な業務内容をノートにまとめることに費やした。もともとインドアで真面目な部分もあった為、休日はもちろん出勤前や退勤後もノート作業を行い、買い物もネットスーパーに頼り完全に職場と寮を行き来する日々を送った。その結果、同期の中でも順調にOJTが進み仕事ぶりを褒められることも多く、表彰されることさえあった。
しかしある時から全てがうまくいかなくなった。ある日からロッカーにいたずらされるようになり、身に覚えのないことで報告書を書かされた。誰が犯人か分からないまま繰り返されるいたずら。事件に巻き込まれている間に狂っていく教育計画。プレッシャーや恐怖で普通に呼吸することさえ難しくなり、朝礼で立っていることさえ出来ない日もあった。まるで酸素ボンベがないまま深海へと沈められている気分だった。そしてついにある夜寝る前に発作状態になり、気付いたら急病センターで点滴に繋がれていた。「ああもう限界だ……」この時から私は希死念慮を抱くようになった。

次の日から仕事はすべて中止となり、1週間の休養が与えられた。同期は出勤し、何ヶ月ぶりかの何も予定がない生活。待ち望んだ平穏な時間のはずなのに、私の心はちっとも解放されなかった。「夢は簡単に諦めていいものじゃない」と教えてくれた両親を、夢を叶えたことを心から喜んでくれた家族や友達を、こんなに早く失望させることになるなんて。10年間この夢だけを目標にあらゆる選択をし、進み続けてきたのに。これからどう生きればいいのか、どれだけ考えても退職後の人生に希望は見出せなかった。いっそこの人生を諦めて、リセットしたらいいのではないだろうか。この取っ手に紐をかけたら、この道路に飛び出したら……。

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結局、先の見えない面談を何度も重ねた上、依願退職としてその地を離れた。あんなに頑張ってまとめたノートも、あっという間にシュレッダーの中に消えていった。あれから4年。いまだに航空業界がテーマの作品は見られないし、旅行として人気なあの地にも今後この先足を踏み入れることは出来ないだろう。今なら分かる。あの夢は私にとって生きる上での支えで、お守りでもあったし呪いでもあったのだと。
そんな私の今の夢は、「いつかキャバリアを飼って、金木犀の香りに包まれながらこの世を去ること」である。