「また別のブランドバックの写真UPしてる。働いてる様子もないし、すごいな」
毎日働いて、それなりの給料でそれなりの生活をする私と同じ次元に生きて、息しているとはにわかには信じ難い友人のキラキラと輝く華やかなSNSの世界。

そこだけ切り取ると遠くの世界に行ってしまったような感覚に陥るが現実世界で再開すると、驚くほどに友人は私の知っている友人なのだ。SNS上と現実世界でのギャップにいつもハッとさせられる。

「あ、遠くに行ってしまったわけではないのだ」と。

それでも、またSNSに戻れば友人は遠くの世界の住人へと戻ってしまう。
けれど、私は現実世界の友人が好きだから、また会う約束を交わすのだ。

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現実での人生の一瞬を切り取ったSNSの世界。
それらが全てではないことを頭では理解していても、SNSがあまりにも私たちの現実世界に溶けてくっついているのが現代だ。

私自身SNSと現実を上手く分離できないことがある。
SNSだけを見てその人の人生全てを知った気になる。
現実を知る友人らに関しては、実際に会うことでそのギャップを埋める。

その一方でSNSの私だけを見て近寄ってくる、友人ですらなかった人からの感情になんとも言い難いゾワゾワした感情に陥ることもしばしばある。それがまた、異性として意識された感情の場合はなおさら気持ちがざわつく。自分自身にもまた、遠いようで遠くないSNSと現実世界の話。

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「やっほ〜久しぶり。元気?」
そんなメッセージが届くのはいつだって突然だ。
私のインスタグラムのアカウントは二つ。
一つは現実世界の友人らと繋がるための鍵アカ。もう一つは趣味アカだ。
鍵アカは友人だけとはいえ、知り合い、顔は知った程度の人でも、リクエストが来ればたいがい承認するようにしている。

このメッセージを送ってきた主も、だいぶ前にフォローリクエストが来た一人で特段学生時代に仲がわけではなかった。

「元気だよ」
「そうなんだ!仕事順調?」
すぐに返ってくるメッセージに溜息を添えてSNSを閉じる。

失礼な話、私は自分の興味がない相手とメッセージを交わすことが得意ではない。
LINEもインスタのDMもSNSの種類に限らず、メッセージが必然的に遅くなる。
そんな私のテンポお構いなしに、リアルタイムで返信は届く。
さらにその返信が質問で返ってくるとますます返事が億劫になる。
テンポの合わなさにフラストレーションだけが蓄積されていく。

「それなりに順調だよ〜」
「そうなんだ。睡蓮さん今どこに住んでるの?」
「え、〇〇だよ」
「あ、そうなんだ!今度そっち行く用事あるからご飯食べない?」
ああ、そっちね。
「いや、忙しいから無理」
「え〜、じゃあ今彼氏いる?」
その瞬間、溜まっていたフラストレーションが溢れ、メッセージを削除する。
ブロックまではしなくとも、その後追いメッセージが来ても既読無視だ。

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鍵アカは基本的に見る専門のアカウントと化しているが、たまにストーリーに写真を載せたりはする。

もちろん、自分自身も日常の少し特別な部分だけを切り取りがちではある。
そんな、私の人生の瞬間に特別感を感じて寄ってくる姿に嫌気がさす。

そうやって送ってくる彼ら自身についても、メッセージ上の一部でしか判断しない、そんな自分の愚かさを棚に上げてでも、私は彼らとの関係を続ける気になれないのだ

SNS上で育まれる友情や関係性は非常に脆く、取り返しがきかないことが多い。
その瞬間だけで人の偶像を作ると、そうではない部分が見えた瞬間幻滅する。
そしてそれを挽回できないのだ。
直接会えば、その人柄や雰囲気がわかるのだろうが、そのエネルギーを割くという気力すら湧かなくさせるのだから恐ろしい。

SNS上でのギャップを感じつつも、現実で会いたいと思う友人とは長い間関係を築いたからなのだと、やはり現実の上にSNSでの世界は成り立っているにすぎないのだと感じさせる。

SNSにおいて友情や人間関係を築く時は、私自身間違った道へと進まないよう、心底注意しようと思う今日この頃である。