SNSは難しい。同級生と繋がっていても、数だけで全く絡みのない人もいる。かと思えば、実際に話す関係だからこそ不思議な関係性になったこともある。私が実際に体験したのは、絡みのある同級生との間に起こった、とある出来事だ。SNSだからこそ起きた不思議な事件。

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高校生の時、私はSNSに写真を投稿をした。スタバのドリンクを写真に撮ってアップしたのだ。理由は、ドリンクに書かれていた文字。今も応援している推しが所属するグループに関連した文字が記されており、個人的に心を浮かせたからだ。この事件に関係している相手も、同じグループに推しがいる同級生。私が投稿した内容は、同級生の推しに関係する内容だった。

私は投稿してしばらく経った時、SNSを開いてみると同級生から反応があった。最初は、気づいてもらえたのだ、という思い。投稿した私にも多少は承認欲求があったため、届く人には届くのだと嬉しくなった。

しかし30分も経たないうちに、その反応は取り消され、フォローすらも外されていたのだ。そのころ、原因は覚えていないが、関係はとてつもなく希薄になっていた。

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同級生とは中学からの付き合いで、同じ部活をしていたため話さない訳では無い。高校も同じ学校に進学し、クラスであった学年もあるが、仲が悪くなった事件などは起こっていない。しかし、私の中には彼女に対して嫌悪感があり、嫉妬もあったように思う。その嫌悪感が関係しているのか、フォローを外されたときは呆れた気持ちになった。

SNSを通じて同級生との関係はさらに薄いものになる。学校ですれ違っても声をかけることはしない。数いる同学年のひとりになっていた。大学進学をするころには、お互いの存在こそ知ってはいるものの興味はわかないほどに。おそらくだが、同級生の中に私はすでに存在していないだろう。どこに進学したのかなど関係なく、名前を聞けば知っているがそれだけ、と答えるだろう。

スマートフォンの普及とともに発展したSNS。仲が良い友だちとはいつでもメッセージのやり取りができる画期的なアプリだった。しかし、友だちや同級生との距離感を変えてしまうシステムでもあると思う。関係が希薄化した相手でも、連絡先を知っているために攻撃できてしまうこともある。相手が何気なくした行動や投稿でも、知らない間に恨み・妬みが生まれていることだってある。

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私は人間関係を構築するのが苦手だ。SNSを通してもなかなか弾んだ話ができない。会わなければ何も起こらなかっただろう関係の変化も、SNSで繋がってしまったが故に変わってしまうことがある。これはSNSが起こした事件のひとつだと言えよう。

もちろん、SNSを通じた新しい繋がりもできる。新しい出会いやプラスに働く出来事のほうが多いのだけれど、悪い方向に関係が向いてしまうこともある。同級生とは、その後全くやりとりすることはなくなった。会うこともなかった。

全く関係がなくなった今、私からも存在を気にすることはなくなった。今何をしていようが流せる自信がある。どこかで遭遇する可能性があるかもしれないと考えると、できれば会いたくないと思うけれど。

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SNSをもってしても、人間関係の構築は難しい。たまに話す程度には友人の関係を築いていた人でも、たったひとつSNSに投稿したことがきっかけで嫌悪感が膨れる。関係が全くなくなり、存在すらも忘れてしまうくらいに薄くなるのだ。

今ではSNSがないと不便に思うことも多くなった。どこかと繋がるときには必ずSNSを使う。交換する連絡先も、電話番号やメールアドレスではなくSNSのアカウントだ。人との繋がり方が変わると、関係性も変わる。同級生との関係もガラリと変わった。便利になる反面、自分にとって必要なもの、必要でないものが淘汰される。それでもしつこく残るものが一部存在するのも確かではあるけれど。

同級生とここまで希薄な関係になるきっかけがSNSであることには驚いている。ティーン世代ならではの、感情が大きく揺れた時期であったことも関係しているだろうか。SNSを通して起こったひとつの事件。なかなか不思議な経験であった。