夢なんて。と、少し冷めたことを考えてしまう子供だった。

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周りを見回して、友達の親の大多数が何かしらの会社勤めか公務員であるように思われた。稀に士業の親がおり、医師の親がおり、自営業者の親がいた。わたしの親はサラリーマンだった。

士業や医師職に就けるほど優秀ではなく、組織に属さずやっていけるバイタリティもないと自認していたので、わたしも親のようにサラリーマンになるのだと疑いもなく思っていた。夢を叶えるためじゃない、お金を稼いで生活していくためだと。冷静に将来を考えているつもりの、お子様の思考だ。

それでも、「将来の夢はなんですか?」というお決まりの質問は学校生活の節目節目にやってくる。子どもなりに当たり障りのない答えが求められていることはわかっていた。「会社員」などと書けばとんだ興醒めである。

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小学校高学年より前、そういうときのわたしの答えは「小説家」だった。
高学年以降になると、「小説家」は「翻訳家」へと変化した。中学校いっぱいはそう答えていたと思う。
高校以降は、「夢」を聞かれる機会もぐっと減った。その頃には、「抽象的に答える」というわざを身につけ、「幸せになりたい」「好きなことをして暮らしたい」等と答えていたと記憶している。

夢なんて。夢なんて。いやいや。普通に進学して、就活して、サラリーマンでしょ。そう思っていた通り、わたしは進学し、就活し、新卒で会社勤めを始めた。

あ、散々ニヒルぶって夢と向き合ってこなかったけど、わたしって結局、夢から逃れられないのかも。
そう思うきっかけとなったのが、新卒で入った会社で働くのがどうにもしんどくなって始めた転職活動だった。

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新卒で入った会社はメーカーだったが、その会社の作る製品に対して、わたしはなんの興味も持てなかった。
製品になんの興味も持てなければ、その製品を使って利益を上げるアイデアなんて出るはずがない。その製品の改善に血道をあげている同僚や上司にも共感できず、異様にすら見えてくる。

それでも社会人として、自分に与えられた勤めはしっかり果たすべきだ。興味の持てない製品のために8時間働き、残業をし、時に自腹で本を買って勉強して、それでもやっぱりわからず、興味の持てない製品のために手がけた仕事にミスがあり、興味の持てない製品のために上司から怒られて……

働くのがしんどくなった理由はもう少し他にもあるのだけど、根底にはこういう感情があるのが大きかったと思う。
「思い入れることができないものに一日中かかずらって、いったいなんのために生きているのか」と。

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次に勤める会社は、せめて興味が持てる商材を扱っているところが良い。どうせ人生の時間の大半を労働に持っていかれるのなら、労働がそもそも苦しいものなのだとしたら、「触れているだけで幸せ」と思える商材を扱っている会社じゃないと、わたしはきっと続かない。そう考えながら探していくと、エントリー候補リストの会社は出版業界ばかりになっていった。

思えば子どもの頃から三十路手前の今までずっと、わたしの「好き」「憧れ」は一貫して、「ことばや文章を提供すること」の近くにあった。
小学生の頃は照れもなく、ダイレクトに「小説家になりたい」と言えた。しかし成長していく中で、小説家になれるほどの発想力や筆の推進力がないかもしれない、と自信を失っていった。

だから「小説家」から「翻訳家」に、表向きの「夢」を変えたのだ。他人の書いた物語を、わたしというフィルターを通して提供することならできるんじゃないか?と。
しかしそれも現実が見えてくるにつれ、そんなに簡単な話ではないことがよくよくわかってきた。夢の宣言は更に、「せめて好きなことに触れながら生きていきたい」という控えめな願いに置き換わった。

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転職活動は無事に済み、今勤めているところは一応出版業界の端くれで、業界に適正があったのかどうか知らないが(少なくとも前職よりは合ったのか)、勤続年数は前職を超えた。
仮にわたしの夢を「ことばや文章を提供すること」とするのなら、今の状態は「夢が叶っている」と評することができるだろう。夢はわたしの職業を変えたのだ。

けれど、最近また更に風向きが変わってきた。夢は叶っているはずなのに、わたしはなぜ「かがみよかがみ」に文章を投稿し続けるのだろう。個人的に短歌や小説の創作活動を続けているのだろう。SNSに流れてきた短編小説コンテストのプロモーションが、どうしてこんなに気になるのだろう?
夢がまた、わたしを変えようとしているかもしれない。臆病なわたしは認めるのがまだ怖くて、その呼び声が聞こえないふりを続けている。