平成から令和へと大きな時代の節目を迎えたとき、私はまだ高校生だった。今振り返ると、目の前のことに精いっぱいだった17歳の自分には初々しさがあったし、懐かしく思う。大学生の今と高校に通っていた私とでは大きく変わったことと、変わらないことがある。目の前の課題に向き合う日々を送っていることは、何年経っても変わらない。
高校の頃は帰宅すると、単語帳を握りしめて必死に単語テストの勉強をした。単語テストに合格するという小さな夢を追いかけながら、それ以外は眼中になかった。大学生になった今は単語テストなどないけれど、授業を受けるときは何か吸収しようと意識することが増えた。高校の頃は教科担当の先生が、授業で最も重要なところを黒板に書いてくれていたけれど、大学では何が大事なのかを自分で考えてまとめることが求められるのだ。ただボーっと聞いていても後で板書すれば、何となく追いついていた高校生の頃とは学ぶ意識が変わった瞬間が、大学の授業だと思う。
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もちろん、好きな分野を勉強させてもらっているからこそ、学ぶべきことが沢山ある大学生の四年間は人生のなかで、一番贅沢な時間だといえる。芸術大学で文芸を学んでいる今が、とても大事だと思えたのは、大学生活後半戦に突入した今年からだ。入学当初は、文芸を学んで、いつか自分も小説を描けるようになりたいという漠然とした夢を抱きながら、1時間20分の授業を受けて気力と体力がもつか不安を感じながら、目の前のレポート課題に取り組み単位修得試験に合格することで精いっぱいだった。
しかし、三年目に突入した今年の春から、芸術を学ぶことを楽しんでみようと思えた。単位を取らなければいけないから、レポートと授業を頑張っていた二年目までとは違い、ただ小説が好きで陶芸や絵画などの芸術作品が好きだから、もっと現代アートの世界を知りたい。文芸だけではなく、芸術そのものを愛することができたなら、大学生活だけでなくこの先の人生も、きっと楽しめるはず。そう考えて、授業やレポートに取り組むと義務的なものに追われている感覚は一切なくなり、本当に楽しいと思えるようになった。
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そこから小さくも大きな夢が重なり、こうしてエッセイを綴っている今も全力で楽しもうとしている自分がいることに嬉しくなる。
ブライダルプランナーという夢を追っていた高校生の頃も楽しかったけれど、芸術という心の奥底に眠っているパワーを自らの手で溢れさせ、生み出していく営みを愛おしく思う今も、とても充実していると感じられるようになった。16歳だった四年前は、まさか自分が芸術大学に進学しエッセイを書いているなんて想像すらしていなかった。いつ何が起こるかわからないから、人生は面白いのかもしれない。最近では計画通りに進まないとき、焦って自暴自棄になる瞬間が多いけれど、その「今」を楽しむことができる余裕をもつ大人に憧れるようになった。
淡々と過ぎていく平和な毎日に、刺激を与えることで新しい夢が芽生える。小説を書くという大きな夢から、今までの経験とこれからの夢を辿るエッセイを綴ることで夢に一歩ずつ近づいていく自分でいたい。
過去に戻ることは前に進むより難しいと知ったとき、人として大きく成長し強くなれるはずだ。この先、また何が起こるかわからないけれど、その時どう生きるかは自分にしか決められない。もし立ち止まっても焦らず、ちょっと回り道をするだけだと思って自分を信じることができたら、夢に繋がる道へ進むことができると思う。
この四年間で高校生から成人した私が学んだことは、沢山ある。それが必ず、人生の支えになると信じて、今日も突き進みたい。