私は文章を書くのが嫌いな子供だった。
どれくらい嫌いだったかといえば、小学生の時は、毎年8月31日の夜になっても読書感想文の宿題を手に付けるのがおっくうで、泣きながら9月1日の朝にやっていた。中高生の時は、現代文のテストの「○○字以上で答えよ」の○○が100を超えると、答案を書くのを諦めていた。大学生の時は、レポート提出の必要がある授業は極力避けて、テストで成績が決まる講義を選んだ。
それほど、文章を書くのが大嫌いで大嫌いで仕方がなかった。

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一方で、本を読むのは大好きな子供だった。
図書室にあった児童向けの書籍である、「青い鳥文庫」の本は全て読みつくした。登下校の際、電車ですることといえば読書だった。
誇張表現かもしれないが、隙間時間ができれば本を読む、というより、本を読む隙間に他の事をする、といった生活を過ごしていたと言ってもいい(さすがに今は、家事やら学業やらを自分から進めないと生活が成り立たないので読書とその他の比率は変化しつつあるが

そして、読書後も、本の世界の楽しみは続く。物語の続きはどうなるかや、自分と登場人物が出会ったらどうなるかを布団の中で妄想するような、空想好きな子供だった。文章を生み出すことは嫌いでも、物語を頭の中で創ることは好きになった。
だから、小学生の時、将来の夢はなに、と尋ねられたら、作家になること、と答えていた。文をまともに書けないくせに、本を、自分が作る側になってみたかったのだ。

とは言うものの、小学生のころに抱いた夢など、「目標」や「野心」ではなくて、「憧れ」や「願望」に近いものだった。つまり、真剣に自分の道として考えぬいた職業という訳ではなかった。そして、少しだけ現実的な思考をするようになったのか、中学生の時、将来の夢はなに、と尋ねられたら、夢はメーカー勤務とか、商社のOL、とか、そんな風に答えていた。作家になる、という夢は小学生の時に終わっていた。

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そして現在である。大学院生になって始まった就職活動。会社に出すエントリーシート、会社のインターンシップへの参加申し込み、会社に出す履歴書…。当然かのように、会社勤めをすることが前提となって話が進む。
私もその波にのり、大学の専攻が少しでも活かせそうな企業にエントリーシートと履歴書を出し、面接をした。たくさんの企業からいわゆる「お祈りメール」をもらい、就職活動は難航したものの、なんとか内定をいただくことはでき、就職活動を終えた。
いざ来年度から私も社会人になると考えると、不安が押し寄せてきた。
「私は本来何が好きだったのだろう」
就職活動が終わってから将来に迷うのも手遅れな気がするが、就活の忙しさが落ち着いて、かえって自分の将来のことに目を向ける時間ができた。
そして、思い出してしまった。
私が大好きなものは、本を読むこと。そして、その物語の世界を広げること。

お金を得るための手段としての作家になれずともよい。ただ、誰かが読んで、その世界に入り込めるような、本を、一生の間に、書きあげたいと思う。
企業に勤めてから作家になった人もいるのである。就職活動が終わった今になって、新たに夢を持つのも許されるはずだ。まだ遅くはない、と自分を鼓舞してここに宣言しておこう。
「私の将来の夢は本を書くこと」

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夢が私を変えたこと。
それは、ここにエッセイを寄稿するようになったことだ。いくら物語の創造ができても、それを文章にできなければ意味がない。
書くことへの嫌いを克服しなければ。そう思いたって、短いエッセイから書き始めようと、ここのサイトにエッセイを投稿することにした。
そして、意外な発見があった。書くという行為は、昔は大嫌いだった。けれど、最近になって、このサイトに投稿するためのエッセイを1本書いてみて、「書くのって楽しい」と気付かされた。
おそらく、私が嫌いだったのは、限られた時間の中で、決められたテーマを、決められた様式で書かなければならないことだったのだろう。先生や教授の監視下になく、自分の好きなように自分のことをさらけ出せるエッセイは、書いていて楽しかった。

自分は文章を書くことが好きな人だったんだ、ということを、夢が教えてくれた。
このエッセイが採用されるかも、何人の人が目を通すかも不明である。しかし、この文章も書いていて、やはり楽しかった。
私は、夢を叶えるためにも、またここへエッセイを投稿するだろう。でも、本を書き残すという夢のためだけでなく、文章を書きたいという欲求からも、エッセイを書いて、ここに投稿してしまうかもしれない。