小学校での4年間は、十分過ぎるくらい何もかもが変わる。小学生の私からすれば、4年間とは長い年月だった。長い年月というと、私の頭には大樹が大地にどっしりと根を張るさまが浮かぶけれど、あの時の私達は、校庭の樹齢何十年の柳より見た目も風格も変わっていた。経験や知識量、考え方もきっと……。
中学校、高校、4年制大学と徐々に変化のスピードは落ち着いてくるものの、4年あれば環境が変わる。決定権は私には無い。ほぼ自動的に、学校から卒業証書を渡されて、次の環境でも頑張るんだよと見送られるうちに、私は今の会社に就職し、社会人になった。
とてつもなく大きな何かをしでかさない限り、私は30年以上この会社に身を置くこともできる。校庭の柳の如く、何十年と根を張る。4年やそこらで起きる変化なんぞ数が知れている大樹期。
この4年間で変わったこと。
丁度4年前、私はそんな大樹期に足を踏み入れたので、比較的めまぐるしい4年間だったと思う。故に、あの頃に比べて小さな変化がたくさんある。
自惚れかもしれないが、成長と呼びたい変化も多い。例えば、エレベーターのボタンを上司より先に押せるようになった。事前に原稿を準備しなくても、人前で順序立てて話せるようになった。上司のグラスのお酒が3分の1以下になったら、声をかけられるようになった。やけに上手い乾杯の挨拶、稟議書の出し方、口にしてはいけない本当のこと……。
4年前の私にはできなかったことや、分からなかったことが今の私には身についている。
逆にできなくなったこともある。
休日に鳴る電話に出なくなった。上司に余程のことでない限り、反論しなくなった。4年前は新鮮だったお父さん世代の方々との飲み会に新鮮さを感じなくなった。
◎ ◎
3ヶ月前、彼氏と別れた。4年前に付き合い始めた彼氏だった。友人にも「結構長いね」と言われる程の期間ではあったし、事実、1番長く付き合った彼氏だったけれど、私が彼と付き合っていた期間は本当に4年間だったのだろうか。
勿論、コロナ禍の遠距離恋愛で会えなかった期間もあったし、距離を置いていた時もあった。でも、そんなことじゃなくて。
付き合って2年が経った頃、鍋に入ったスープはもう底が見えていた。それからの2年間は、お湯を足し続けることでなんとかやり過ごした。口に含めば、ほとんど味のしないスープが、私の4年間の支えだったからだ。4年間を走り切るためには必要だった。2人の関係を続けるために、距離を置くことだって私が仕組んだ。
4年前と私達は変わった。私を見る彼の目。彼を見る私の目も、変わったかもしれない。「愛が冷めた」、「ときめきが少なくなった」、そんなことに悩みすら感じなくなった。だが、この4年間で、彼は私にとって「どこかで私を分かってくれている存在」になっていった。最初の頃、先輩に何度注意されても上手くできなかったのに、エレベーターのボタンを早く押せるようになってしまった私を。乾杯の挨拶がやけに上手くなってしまった私を。
「そういうところ、変わらなかったから。受け止められるくらいの器がなくてごめんね」
と、彼に別れを告げられた。
他にも色々と話をしたはずなのに、その言葉だけが頭にこびり付いている。「そういうところ」とは、熱中すると周りが見えなくなるところ。4年経っても直らなかった私の悪いところ。私の短所だと自覚はしていたが、彼がそれを嫌がっていたなんて知らなかった。言ってくれれば良かったのに。私達は喧嘩をしたことが無かった。
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結局何の話なのかというと、大樹期に足を踏み入れた4年間は大樹期と言えども「変わったこと」が多かった。そんな4年間を走り切るために必要だった彼と私の関係は4年経った今、変わってしまった。その要因の1つに私の変わらなかったところがあった。そういう話である。
変わるということは、労力と精神力を要することだと思う。時に、変わることは容易いが、変わらないように保つことの方が労力と精神力を要する場合もある。
どちらが正解というわけでもない。とにかく、より良くあればいいのだろうが、より良くあることも正解なのだろうか。彼が言うように、私の悪いところを改善していれば良かったのだろうか。より良く変われば変わるほどに、私は私の特徴を失っているような、そんな寂しさをどこかで感じてしまう。
次の4年。私にこの4年以上の変化はあるのだろうか。変わっていきたいと願う一方で、穏やかな変化を望む自分がいる。大樹期なんだし。