いつも拝読している「かがみよかがみ」さん。
自分と向き合うなんてことすら思い浮かばずに、それっぽい遊びをこなして30年もぼーっと過ごしてきてしまったが、様々なエッセイたちを覗いているなかで、自分と向き合わなきゃいけないのかな、向き合ってみようかなと思わせてくれた。
読みはじめたのは30歳を過ぎていたが、それからの4年間。どん底から好転し今に至る。
これから、ちょっとした印象的な出来事と気の持ちようで未来が変わりましたという「n=1」をここに記述させていただきたい。

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親に「あなたたちを見ていると結婚したいと思えない」と吐いた30歳。
当時気になっていた男性に「あなたの話を聞いていると暗い気持ちになる」とこぼした31歳。
10kg減量し現夫と出逢い、プロポーズを受けた32歳。
温かな結婚生活、妊娠発覚の33歳。
嫌だと感じることに1つひとつ向き合い自分なりの幸せを求め、踏ん張って進んできた地道な4年間だ。

不自由のない暮らしをさせてくれたが、瞬間湯沸し器のように突然不機嫌になる父と、悲観的で過保護な母。
これ以上家にいるのが嫌で、遠くの大学を志望した。1人暮らしがしたかったから。
帰省するたびにちょっとした両親のいざこざを目にしてはスルーしてきたが、母に似て悲観的な自分も結婚したらこうなるのかと思うとやりきれなかった。
「あなたたちを見ていると結婚したいとは思えない」と吐いた。
30歳を過ぎたし私の結婚の意向も気になっているだろうから、するつもりはないという意味も含めて伝えた。それでも、もっと仲良くしてほしいなぁと思ってはいた。幸い、今は前よりも仲が良さそうで安心している。

そんな家庭で育ったため、他人の顔色を気にし、合わせるようになった。そのほうがみんな笑顔になってくれるし。
ところが当時気になっていた人は、ノリが良い一方言葉選びが雑で人を貶して笑いをとるタイプだった。この人といるともやもやするなぁと思っていたが、ある日ついにぽろりと出た言葉が、「あなたといると暗い気持ちになる」だ。
もうこれは言ってやってもいいなと思った瞬間だった。と同時に、この人といる時間は私にとって必要じゃないな、嫌だなと思った。

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そこから婚活を始めたが、希望するのはただ1つ。
一緒にいて心が温かくなる人。
自分軸で選んだり決めたりしようと思えた。

ちなみに、婚活を始めてみたのにはいろいろと思うところがあったからなのだが、一番は毎日1人で摂る夕食に嫌気が差したからだ。あまりにも苦痛で、けど行動しないとずっと不快なままだから何とかして変えたいという一心で婚活することにした。
婚活で見向きもされなかったら嫌だから、減量を始めた。小さい頃からずっとぽっちゃりで嘆いていた自分に飽き飽きしていたし、この頃は自暴自棄すぎて髪も肌もぼろぼろだったので、もうどうでもいいやと思って豆腐やら納豆やら玉子やらを食べた。半年とちょっとで10kg痩せた。

婚活が失敗したら嫌なので、その年の年末までにうまくいかなかったら自主的に撤退しようと思っていた。失敗したのではなく、自らやめたと言えるように。
時間を割いて会ってくださった方には感謝を持って楽しく過ごそうと決めた。婚活開始後間もなく出逢った方から4ヶ月弱でプロポーズ、その3ヶ月後に結婚した。初めて出逢ってから今もずっと、一緒にいて心が温かくなる人だ。私今幸せだなぁと思えるようになったのはこの頃からだっただろうか。「幸せ」という感覚が初めて分かった気がしている。踏ん張ってきた成果であるならうれしい。

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振り返ると、4年間で随分変わったなぁと思う。
それもこれも
「こんな自分はもう嫌だ、うんざりだ」
という、ネガティブをバネにする力のほうが強かったように思うし、今も根幹の考え方は変わっていない。現に、これまでこの文章で何回「嫌」と述べてきたことか。

ちなみに、子どもについても当時は正直好きとは即答できないほどだったが、いなかったら後悔するかもしれないからくらいの気持ちで妊活を始めた。
出産してから数ヶ月経った今の気持ちはというと、かわいい。毎日一緒にいると愛しさが増し増しになる。こんな生活も悪くない。

夫と子どももいて、これからは今まで以上にどう変わっていくか未知である。それでも、こんなにも自分の気持ちと言動が大きく変わった4年間を知っているなら、多少のでこぼこ道も味わえそうである。ネガティブもバネにできるなら、きっと自分なりの幸せに続いていくのだろうから。