小学生の時お気に入りだったワンピース、中学生の制服、成人式の振袖……。
「あの服の思い出」のテーマエッセイを書くにあたってこれまでを振り返ってみると、服にまつわる様々なエピソードが出てきた。嬉しかったこと、悲しかったこと、友や家族と喜んだことなど……。どの思い出も捨てがたい。
その中で特に印象に残っているのは、「自分がおしゃれになると決意した」時だ。

思い出の中で一番伝えやすそうなので、これについて記そうと思う。

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高校生の初夏に衝撃的な出会いがあった。
きゃりーぱみゅぱみゅちゃんだった。
きっかけはブログ。金髪ウィッグ、陶器のような肌、派手色が多いが整っているコーディネート。
初めて写真を見た時、人形かと思い二度見した。しかも同世代であることにも驚いた。

写真からキラキラオーラが溢れていた。

「私もきゃりーぱみゅぱみゅちゃんみたいになれたら.……。」
思い立ったらすぐ行動、ブログだけでなくきゃりーちゃんが載っている雑誌も毎月購読した。雑誌にハマるうちに、「自分もこの雑誌に載れたら……」と、休みに下北沢や原宿竹下通りを歩いて、服やアクセサリーを買いつつスナップ待ちをしたものだ。

アラレちゃん風伊達メガネやアメリカの小学生が着ていそうなTシャツを買ったあのワクワク、ドキドキ感は大人になった今も覚えている。
しかし、熱しやすく冷めやすい自分が何故こんなにもおしゃれに没頭できたのだろうか?
振り返ると同時期に暗い出来事もあった。

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物語あるあるかもしれないが、私は当時学校内で「指を差される」側だった。人とすれ違うとクスクスと笑われることや、自分のジャージを貸したら「ほたるさんとは関わらない方がいいって〇〇ちゃんから言われて……」と素敵なコメントと一緒に返されたこともあった。鮮やかで毎日楽しい青春を過ごすはずが、受け入れがたい苦痛という沼に溺れて、段々自分が誰だか分からなくなった。
人はそのような状況下にいると、「防衛機制」が働くようになる。
「誰か私と代わって」
「別の世界に行きたい」
「おしゃれであれば、きっと楽しい世界に入れてくれる」
引き裂かれた私の心は無意識に叫んだ。

自分を守るために今いる環境から写真の向こう側のきゃりーちゃん達がいる華やかな世界に飛び込むべく、きゃりーちゃん達の真似をして「もう一人の自分」として生きる手段をとったのだ。

当時の私にとっておしゃれになるということは、衣食住と同じくらい重要な要素になっていた。

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それから約10年経った。
その後、高校を卒業し大学1年生まで古着を中心に着ていた。流行や嗜好が変わり、今の私はいわゆる「オフィスカジュアル」が主軸となった。あの頃のように竹下通りや下北沢で古着を買う機会もなくなって社会にハブられないように、きっちりとした格好にシフトしていった。たまに街中で古着ファッションの人を見ると、あの頃を思い出し少し口角が上がる。また挑戦してみたいものだ。


あの頃買った服の一部はまだ実家に保管されている。たまにタンスを開け見返すと、「こんなの買ったわー、恥ずかしいなー」と心の中で照れ笑いをする。しかし捨てようとはせずそっとタンスの中に戻す、あの頃のドキドキ、ワクワク感と一緒に。

最後に、きゃりーちゃんは今も応援しています。絶望しかけた自分にキラキラの世界を見せてくれたこと、そして「おしゃれになってやる!」と躍起にさせてくれたことに感謝しています。これからも益々のご活躍をお祈りしております。