「この子は、よく湯船で顔だけ出して沈んでいます」

中学校1年生のときの初めての三者面談。母がそう先生に笑いながら話した。
先生が私の入学してからの調子、続いて普段はストレスをどのように緩和しているのか尋ねた際の母の答えだ。
恐らく先生は、3年生に在籍している、いわゆる問題児である兄と私を比較して、あの兄の妹がこんなに大人しいことに違和感を感じていた。3年生の教室は2階で1年生は4階なのに、よく授業中に1年生のフロアまで兄の名前を叫ぶ先生の声が聞こえてきた。
そのような状況では、似ても似つかない私たち兄妹を不思議に思うのも無理はない。

母が言うことは本当だった。
水泳を習っていたこともあり、私はお湯や水に身を浸すのが大好きだった。小学生も高学年になると1人で入浴することが増え、いつしか入浴タイムは私の大切なストレス緩和時間になっていた。

よく、あまりに入浴時間が長い私を気にして母が脱衣所から顔を覗かせた。そうすると湯船に顔だけ出してぷかぷか浮かんでいる私を発見するわけだ。湯船に耳まで浸かると、様々な音が低音の超音波のように聞こえる。6人家族で騒がしい我が家では、生活音のヴォリュームを下げることは容易ではなかった。
だからこのぷかぷかタイムは、私にはなくてはならないものだった。

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こうしてお風呂時間を特別な癒しとみなすようになってから久しい。
いつしか夏場でも贅沢にお湯を張り、30分は半身浴をするようになった。
思春期の時期には夜だけではなく、朝もお風呂にこもるようになった。さすがに今はガス代や水道代を気にして夜だけにしているが、相変わらずキャンドルやスクラブを持ち込んで楽しんでいる。

大学生のあるとき、親友に笑われたことがある。
それはレポート提出が間近に迫った7月後半の帰り道。
「あー、お風呂に入りたい」
ほぼ無意識につぶやいた。横を歩いていた親友は、ずっとこのひとり言を不思議に思っていたらしい。夏なら汗ばんだ体を洗い流したいから、冬なら凍えているからと理解してくれていたらしい。
でもその日は明らかに変なタイミングでつぶやいたものだから、意を決して尋ねてくれた。
そしてそれは、私がストレスや疲労を感じたときにこぼしてしまう言葉だと知り、「なんかいいね」と笑ってくれたのだ。
「疲れたっていうよりもいいよ」と。

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このひとり言は今でも抜けない。
私も私らしいと思って直そうと意識づけていない。
毎月給料日になるとカゴいっぱいに入浴剤を買う。大きなキャンドルを持ち込んで、電気を消して、何を考えるともなくぼーっとする。そして生活音が無音になった今でもぷかぷか浮かぶ。

どんどんお風呂時間の質を上げようと考えるようになり、いつしか親からの誕生日プレゼントはバスタオルになった。
そして来週が私の誕生日。「今年は何色にするの」、そう尋ねられた。
笑顔でワインレッドを希望しておいた。