息が詰まりそうーー。好きでもない生ビールをちびちびと飲みながら私はそう思った。私は居酒屋の喧騒の中にいた。飲み会の参加者は思い思いに席を移動し、そこかしこで話に花を咲かせている。大人数の飲み会は、時間とともにいくつかの話の輪ができて、それぞれで盛り上がるのが常である。

そうして話の輪が分裂するたび、輪からあぶれてしまい、どこに所属しようか迷う参加者が若干名いる。ここで迷子になると、周りが楽しそうなだけに非常に寂しい思いをするから残酷なものだ。残念ながら私は常に迷い人になり、喧騒の中にいながらいつも寂しかった。私は飲み会というものが嫌いだった。もっといえば、人付き合いそのものが苦手だった。

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困ったことに、この「苦手」というのは、「嫌い」では無いのである。

他人に興味が無いのではなく、「友だちが欲しい」と思っている。なのに、いざ人を目の前にすると、何を話せば良いのか全くわからない。

何を話そう、と必死に考えながら、でも何も思い浮かばず、結局、嫌われたくない一心で相手の話に合わせて相槌ばかり打ち、相手を立てる言葉しかかけないから、自分も無理をするし盛り上がらない。そのうち話の展開についていけなくなり、息が詰まるような感じがする。

自分の中では無数の感情が浮かび、また消えていくのに、それをリアルタイムで素早く言語化して話の展開に合わせて出す力が無い。そういうわけで私は友達が非常に少なく、それがコンプレックスだった。口下手を解消するには場数を踏むこと、と何処かで見聞きして、誘われる飲み会は無理をしてでも参加していた。そして飲み会が終わるたび、後悔と孤独を抱えるのが常であった。スケジュールを埋めることが人生の充実では無いと知りながら、私のスケジュールは埋まっていた。生き急いでいるように、人付き合いの充実を求めていた。

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こんな切迫感に駆られたような生活に転機を与えてくれたのは、不謹慎かもしれないが、コロナ禍だった。不要不急の外出は避ける、ディスタンスを保つ、という呼びかけのもと、飲み会は一律に自粛となった。飲みニケーションと呼ばれるほど飲み会が必要とされていた時代だったが、一変して、人との接触を避けることが善となった。なんだか、これまで自分を責める原因だった友達の少なさも、肯定されている気がした。

埋まっていたスケジュールはスカスカになり、一人でいることが増えると、自分に向き合い、内省する時間が増える。私は、いわゆる自己分析をするようになった。就活のときに、自分の好き嫌い、得意不得意を洗い出して、進路を決める指針となる自己分析。私も自己分析をしたのだが、やり方を知らず自己流にやり、時間に押されて丁寧にできなかった。今回は本を参考に丁寧にやることにした。

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これまで私は「得意・不得意」「好き・嫌い」の2つの軸で自分を分析してきたのだが、ここではじめて、「得意だがやりたくないこと」「不得意だがやってみたいこと」といった、自分の現状と相反する気持ちにも目を向ける大切さに気がついた。

たとえば、私はお客様の話をよく聞き、丁寧に応じることが得意だから、仕事ではクレーム対応を任されがちだった。しかし、クレーム対応が「得意」でも、これは「やりたい仕事」では無かった。ひたすら話を聞き、謝り、感情を噛み殺すのは、ストレスになる。私は、これまで無理をしていたことに気づいた。

もちろん理想は自分の「得意」と「好き」の重なり合う仕事を見つけることだが、現実はそんなに簡単に見つからない。どんな仕事にも、多かれ少なかれ「得意だが嫌い」な作業があり、「不得意だし苦手」な作業もあるだろう。大切なのは、自分の「好き」と「不得意」を正しく分析して、いかに自分の不得意を改善して「得意だし好きな仕事」に変えていくかなのである。現状を分析して、目標に近づくためのステップを作るのが、自己分析のゴールなのである。

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これまで自分を押し殺してきた人ほど、自分の不得意なことはよく思い浮かぶのに、自分の得意なことはおろか、好き嫌いを自覚するのさえ難しい。私も、自分が何を好きで何を嫌いか、最初は思い浮かべるのが難しかった。いかに自分の気持ちに向き合ってこなかったかを自覚した。それでも、内省や自己分析を重ねるにつれて、まずは自分が嫌いだと思う作業や環境を書き出すことができ、少しずつ、好きなことにも目を向けられるようになった。

正直なところ、何度自己分析をしても、仕事にまでしたいほどの好きを見つけたり、人生を変えるほどの何かに出会えるわけではない。しかし内省を通じていかに自分が感情を押し殺してきたのか自覚をした。

コロナ禍を通じて、人との交流を控えることが善しとされる価値観に出会うことができた。そうしてできた一人時間に内省をすることで、自分の心に向き合うことができた。心躍るような楽しい経験も、心を揺さぶられるような感動も、自分の心に正直でなければ出会うことができない。少なくとも私にとって、友人の多さや交流の多さがそれでは無いと気づくことができた。私は自分の生活を、心の動きのある生活にしたい。大人になるとそれは難しいことかもしれないが、常に自分の心に寄り添い、その瞬間を捉えたいと思う。