大人になってお風呂は唯一、独りになり自分と向き合える時間、リラックスできる空間になった。
それは、まさに私の子どもの頃とは真逆の環境だった。
今の独り静かなお風呂時間も嫌いじゃないけど、私が湯船に浸かると思い出すのは、いつも賑やかだった子ども時代なのだ。

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小学校低学年くらいまでは、姉妹や父と入る、週末の賑やかなお風呂が大好きだった。
フワフワの泡風呂の日があれば、世界地図や九九を覚える日、新しいお風呂用のおもちゃで遊んだりする日もあれば、水鉄砲で撃ち合ったりする日。
たまにゴーグルやシュノーケリングを勝手に引っ張り出しては、湯船で潜ってみたり。
家族みんなで肩まで浸かって、数えるだけのまったりなお風呂も、マイクも無いカラオケで盛り上がるお風呂も。
柚子を入れたり、ネギを入れたり、ミカン風呂にしてみたり、季節のお風呂も好きだった。
毎日のそんな何気ないお風呂の時間が楽しみで楽しみで、父が帰ってくるのが待ち遠しかった。

小学生に上がり、独りで入るお風呂が自然と増えてからも、何かと楽しく遊んでいた。
中学生になり悔しいことがあると、お風呂で独り涙を流したり。
時には感情が溢れて、水に潜って湯船を溢れさせながら泣き叫んだりすることも。
小さい頃から嬉しいことも悲しいことも、色々な想い出が詰まった実家のお風呂。
私は大学生になり、一人暮らしを機にそんな想い出いっぱいの実家を出た。

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いざ一人暮らしが始まると、お風呂はとても窮屈で、湯船に浸かることもほとんどなくなった。
社会人になれば、週末に日々の疲れを癒すために、またお風呂に浸かるようになった。
それでもやっぱり、子どもの頃のような楽しいお風呂時間ではなくなり、考え事をすることが増える時間となっていた。
考えることが出来ることは、考えることがあることは、立派な成長の証かもしれない。
その反面、楽しかったお風呂時間に時々戻りたくなる寂しさを覚える。

そして今、海外に引っ越してきて2年目になったが、湯船に浸かる習慣がない旦那と生活をし始めて、再び湯船が恋しくなる。
湯船に浸かることがない代わりに、自然とシャワーを浴びる時間が長くなる。
そんなシャワーが長〜い私に旦那は、「生きてる?」と生存確認をしに来ることも。
近い将来、持ち家になった時には、大きなバスタブの、家族みんなで楽しめるお風呂が欲しい……と、密かに計画する私。

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それは間違いなく、家族の活発なコミュニケーションにも繋がると確信する。
そして、私がしてきたようなお風呂での色々な経験を、いつか自分の旦那や子どもにも同じようにシェアしたい。

お風呂文化のある日本の素晴らしさを、旦那にも子どもにもシェアしたい。
そして何よりも、私自身が幼少期の体験を再び体現したいのだ。
楽しかった私のお風呂時間は、海外移住で家族と離れた今も、私の心をポカポカと温めてくれている。