わたしの祖父は、スーツ職人だった。スーツだけじゃない、企業に勤めていたときはメインでスーツを担当していたそうだけど、わたしがよく知るおじいちゃんの姿は、どんな服でもヒョイと作ってしまう、ちょっと他にはいない、とてもカッコいいおじいちゃんだった。「手に職をつける」ってこういうことなんだなと、自室で針仕事をする祖父を見て子供心に思っていた。

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子供の頃に遡れば遡るほど、祖父お手製の服を着たわたしの姿が写真に収められている。ちょっとしたワンピースや、ピアノの発表会に着ていったお花柄のドレス。デパートのインフォメーションさんみたいなセットアップもあった。世界に一着だけの、わたしだけのお洋服があるという幸せを、いい意味で「普通じゃない」ことだと、小学生も中頃くらいになってやっと気づいたのだった。

わたしの服だけじゃない、地元のお祭りの時に山車の上で舞う狐さんや、ひょっとこさんの衣装を作っていたのもおじいちゃんだった。お祭りの時には「これ、わたしのおじいちゃんが作った服なんだよ!」ってみんなに言って回りたい気持ちを抑えながら、眩しい気持ちでその服を身につけて軽快に踊る町の人々を見ていたんだった。

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10代になって、ウエストや裾のお直しなどをしてもらうことはあったけれど、新しく服を作ってもらうことはほとんどなくなった。おそらく最後に作ってもらったのは、12歳の時小学校の卒業式で着たブレザーだろう。体型がずっと変わらなかったから、その後も大学入学頃までずっと、ジャケットとして着ていた。

わたしの19歳の誕生日の翌週、成人式の着物を見に行っていた日に突然祖父が倒れ、そのまま急死した。その時にいちばん思ったことは、「ああ、おじいちゃんにスーツを作ってもらっておけばよかったな」だった。スーツ作りを本業にしていた祖父に、それを作ってもらうことなく、わたしがスーツを必要とする齢になるほんのちょっと前に、彼はいなくなってしまった。
もしおじいちゃんのスーツがあったら、とそれからいろんな場面で想像した。どこをとっても自分の身体にしっくりくる、お守りみたいな服だ。ちょっと気合を入れたいとき、不安な気持ちになったとき、やわらかな、やさしい戦闘服として、それはわたしに寄り添ってくれただろう。

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祖父が亡くなった後、伯母(祖父の娘)、祖母と立て続けに亡くなり、遺品整理をしていると、彼女たちに向けて祖父が作ったであろう洋服がいくつも出てきた。体型が全然違うのでわたしが着ることは難しいものがほとんどだったのだが、明らかに既製品ではない素敵なデザインや生地で作られたそれらをどう考えても捨てられず、今でも大事にとってある。おばあちゃんも、伯母さんも、きっとすごく嬉しかっただろうなと、1枚1枚を畳みながら思ったものだった。

というわけで今、わたしにとっては唯一着られる祖父作の服があのブレザーであり、それまで普通に着ていたのが、なんだかもったいなくて着られなくなってしまった。それは今でも実家のクローゼットにそっとしまってあり、もう8年くらい袖を通していないように思う。今度のお彼岸の時にでも、まだ少し暑いだろうけど、それを羽織ってお墓参りにでも行こうか、なんてことを、このエッセイを書くことで思いつくことができた。