質素な生活を送ってきました。
物は滅多に買い換えず、壊れたら直す、穴が空いたら繕う。汚れたら、丸ごと染めたり、塗り直したりします。最近、私が生まれる前からあるシャツのボタンを付け直しました。
台所には、土鍋、鉄フライパン。クローゼットの足元には味噌の入った5リットル瓶が並び、冷蔵庫には自家製の醤油麹、塩麹、玉ねぎ麹が入っています。いわゆる丁寧な暮らしってやつでしょうか?しかしケチ症のせいか、周りからは貧乏人扱いされています。
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くじらをご存知の方には、聞き飽きた説明になってしまったかもしれません。
しかし、くじらも変わりました。
周りの同年代とはなかなか合わなくて、生きにくいなーなんて、思うことはあります。それを、まぁ気にしないでいるしかないと割り切れるようになりました。それが気になる時点で、私も見栄張ってたんだなって話です。
以前は、着飾って失敗することばかりでした。何万円もするブラウスを着て友人に会いに行くと、友人はいつものTシャツとか、どこにでも着て行くジャケットとかでラフに決めていて、ちょっと驚きます。場違いな格好でもないはずですが、友人といると、妙に張り切ったみたいで、肩身が狭くなります。
近況を聞くと、友人たちは精力的に活動し、日々充実しているようです。周りの人の幸せのために努力を惜しまない人もいます。その人はいつも同じシャツを着ていますが、私なんかより間違いなくかっこいいです。中身が空っぽのまま、服装だけを気にしている自分がみっともなくて、恥ずかしくなりました。
男性は私の服など見てもいないようです。気がついてくれる女の子もいますが、私がしぼむのを見るに見かねてという感じで、居た堪れません。
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彼からも、「決めた相手がいるのに、着飾る必要が有るのか?」「必要ねーだろ」と言われ、「見た目も大事!」と主張してきました。しかし、目がパンパンに腫れて二重が消滅しても、起き抜けで芸術的な寝癖がついていても動じない彼に、この理屈は通るはずがありません。そんなことを考えていた自分の小ささが情けなくて、胸が締め付けられるようです。思えば、彼の言葉は、周りの男性の本音かもしれません。
いったい私は誰のために、何のためにおしゃれをしているのか。誰も褒めてくれないし、楽しくないし、むしろかっこ悪い自分に落ち込むけど、街中で見かける同年代は皆おしゃれをしていて、すっきりまとめているのは友人たちだけ。
でも、そのおしゃれというのも、量産型で魅力的だとは思えません。
もちろん、かっこいい人もいて、おしゃれは無駄と切り捨てられるようなものではないこともわかっています。でも、私には必要ないかもしれません。
歳のせい?立場の問題?わからないけど、もう私はおしゃれなんかしたくなくて、必要でもなくて、むしろ邪魔です。それでもおしゃれをしないことで、何か社会から責められているような気持ちになります。
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悩んでから、「おしゃれは自己満足。自分が楽しめないならやめてしまえ」という結論に落ち着き、かなぐり捨てるようにおしゃれをやめました。
しかしそれまでは、しまっては出すの繰り返し。他人の目が怖いからです。
仲のよかった人たちの集まりが、「私(たち)はすごい」か、マウントを取るかの会になってしまい、自分がマウントを取られないよう、丁寧な暮らしのことは極力隠し、着飾らなければならないと考えていました。仕方なく暮らしのことを話す時は自虐的に話し、バカにされるから一緒に笑う。それでも突然キレるので、怖くて仕方ありません。とても疲れます。
結局、彼女らからは連絡が来てものらりくらりかわし、もう関わらないと決めました。それでも今回エッセイを書くにあたり、この疑問を解決しようと心に決めました。
彼からはよく、「くじらは下手にモテるから」と言われていました。私のどこがと思いつつ、「人は見た目じゃないからね〜」と答えていましたが、ちょっと考えてみることにしました。
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以前、新婦が隣にいるのに、新郎が他の女性に目移りしていたり、その新郎が書いた、相手の好きなところが「スタイルがいいところ」とあったりという、なかなか肝を冷やす結婚式に参加したことがあります。
昔は仲が良かった新婦も、顔を合わせれば嫌味を言うようになり、正直参加したくありませんでした。私ですら、ちょっとどうかと思いました。
スタイルなんて、そのうちどうやっても崩れるでしょう。新郎は新婦を見た目でしか判断していない印象を持ちました。
しかもこんな場所で目移りするなんて、こんな男、選ばなければいいのに、と呆れもしました。
問題なのは、その時新郎が見つめていた女性が私だということです。なんとなく視線を感じつつ、視線を逸らし、まさかと思っていましたが、同じテーブルの友人も気がついたようで、彼に伝えてくれていました。
「流行りに乗らず、慎ましく暮らしている私を見て、正反対の暮らしを送る自分の努力が無意味だとか、責められているようで余計嫌な気持ちになるのでは」と彼は語っていました。
どの道、怒りを新郎ではなく、私に向ける時点で破綻しています。明るく思いやりのあった新婦をこんな人に変えたのは、新郎でしょう。でもそれを指摘したって、その頃の彼女は戻ってきません。
新郎と会ったのはその時で2回目でしたから、1回目から好意を持たれていたとしたら、私は気がついていませんでした。彼のことをバカにされたり、散々嫌なことをされてきた仕返しだとしても、結婚式以降、気がつかないふりをしていた私も嫌な女です。
一番悪いのは男です。としても、やはり私が憎まれてしまうようです。
マウント大会への参加もバカらしくて、やめて正解でした。
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今、私の好きな服は、毎年出しているウールのセーターとか、ほつれを縫い直していたら、刺繍だらけになってしまったコートとか、古着で買ってずっと使っているジーパンとか、そんな感じです。それが私には身の丈に合っていて心地よいです。
彼のことも私のことも、散々コケにされてきましたが、仕返しとか、復讐とか、そんなバカらしいことに労力を割くことはもうしません。すでに彼女らは、罰以上の苦しみを受けています。社会が私をどう見ようと、いずれ社会が私についてくるからと、堂々生きてやる。変えてやる。その一環がこれです。
全てを得ることはできないから、服はすっきりまとめて、したいことをして、あんな人たちのことはなかったことにして、気楽に生きます。
本当にしたいことをする人生にしませんか?
ゆったり暮らすとか、植物を育ててみるとか、バンジージャンプに挑戦するのもいいだろうし、家族でキャンプに行くとか、聖地巡礼も素敵ですね。もちろんおしゃれが楽しいなら、おしゃれをすればいいんです。
心や人間関係ももちろんですが、まずは物の断捨離をお勧めします。