新しいドレスを買った。仲のいい友人の結婚式のためだ。美容室も1ヶ月前から予約して結婚式にちょうど良くなるように調整した。前日は家にあったジェルネイルチップをつけ、メイクを一度練習しておいた。
こんだけはしゃいでおきながら、わたしは結婚式が嫌いだ。
友人を祝福したい、せっかくの機会だからちゃんと着飾りたいという気持ちで、せっせと準備をする。しかし、いざ結婚式に参列すると、そこは家制度の名残をひたすら刷り込み倒したような演出がたくさん存在していて、絶望的な気持ちになる。
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式の最初、新郎は1人で歩いてきて真ん中で待つ。新婦は入口で母親にベールをかけられて、父親と腕を組み、ゆっくり歩く。父親と新婦は途中で歩みを止めて、腕をほどき、父親と新郎が入れ替わる。そして神父さんの前まで歩く。よくある演出だ。
この「新婦を、父親から新郎にパスする」という形式が本当に気持ち悪く、悲しくて、目を逸らしてしまった。
なぜ新婦は女として生まれたばかりに、"家"から"家"にパスされる存在にならなければならないのだろうか。
女性を大切にしている、という演出に見せかけて、女は誰かに従属する立場であり続けることを継承している、残酷な演出にしか見えなかった。
最初から新郎新婦2人で入場したらダメなのか?それぞれの家族の子供だった新郎新婦が新しい家族になった、というならそれでいいじゃんと思うんです。
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別に新郎新婦は、ある程度決まったプランがあって、それに従っているのだろうというのは分かってるけれど、それを拒絶するほどの思いは無いんだろうなと思うと悲しい。そんな演出を見て泣いている参列者の友人を見るのも辛い。
大学時代の知り合い同士の結婚だったので、参列者は新郎側も含めて友達だらけ(友達同士の夫婦が2組ふくむ)。式後は、当然みんなで飲みに行くと思っていたのだが、1組の夫婦はすぐ帰宅し、残りの人たちも、みんなそれなりに帰りたそうで、軽くカフェに入ってちょっとおしゃべりしてすぐ解散してしまった。
当たり前だが大学生の時とはもう違うんだなというのを実感しつつ、各々帰る家があり、家庭の時間があるんだなと、シンプルに寂しくなった。
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かくいうわたしも5年ほど同棲しており、事実婚もしている。コロナ禍での面会の融通のためと、当時わたしが少し結婚に近づきたかったということで、わたしから同居人(未届けの夫)に事実婚を提案した。
現状、特にそれ以上の進展も期待できないし、期待してないし、ちゃんと結婚したいとか、子供が欲しいと思っていない中で、家庭に中途半端に縛られているという感覚が強くなってしまっているのが現状だ。
まだみんな大学生の空気を残して自由に過ごしている時に、わたしは事実婚をし、みんなが家庭に落ち着き始める頃に結婚への拒否感を高めている。
ただただ世間の流れに逆行したい、というだけなのかもしれない。ダサい。
ぐるぐると考えていたら、badに入りすぎて、このしんどさを口に出したかったので、マッチングアプリで出会った人に連絡をして飲みに行き、わーっと話した。すごく優しく聞いてくれた。彼は、もちろん男女平等であるべきだし、そうあってほしいと思ってるけど、今の社会が具体的にどんなふうに不平等な状態なのかというのは言われないと分からない、と言っていた。
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わたしは何に怒っているんだ?
怒りの対象を個人に向けたところでその人たちは自覚していないことだったりするし、個人的に努力をされていることもある。
結局、社会のしくみに対して怒るしか無い。そしてどうもできない。
もっと社会のしくみを鈍感に受け入れながら生きていければ楽なのに。強く生きるしかないのか。がんばって生きよう、ね。