「ずっと素敵な女性だと思っていました。好きです。付き合ってください」
夜9時過ぎの新宿駅南口は人で溢れ返っていた。初めての食事を終えて解散し、彼に背を向け改札を通ろうとする。「待ってください」と、呼び止められて告げられたのは愛の吐露だった。
『そのとき』、私は冷めていた。彼を憎からず思う気持ちがあったわけではない。予想外に行われた告白に対し、安っぽい恋愛映画のワンシーンみたいだなとどこか他人事に捉えていたのだ。1日に350万人以上が行き来するという新宿駅。そこで男女がラブ・ロマンスをなぞるなんて腐るほど起こっている。返事がイエスであれノーであれ、自分がその一部になるのが不思議だった。だって、私は『そのとき』を避けて生きてきたから。
過去のトラウマから恋愛に対して臆病になっていた
私には交際経験がない。過去に人を好きになったことはあるし、相手から好意を寄せてもらったこともあった。でもいつも『そのとき』が近づくと逃げ出して距離を置いた。周囲からヤラハタなどと揶揄されたり、家族からは心配されたりして、私自身繰り返されるこの現象に悩んだ。検索結果に並ぶアセクシュアル、回避性パーソナリティ障害という言葉はどうも当てはまらない。そして、私はひとえに過去のトラウマから恋愛に対して臆病になっているだけなのだと気づいた。
幼い私にとって身近にいた男たちはろくでもなかった。父は連日朝帰りをしては家で暴力を振るった。熱いポットが倒れて、私と母が火傷を負ったこともある。結局父は遊んでいた先で知り合った女性のもとへ行き、二度と帰ってこなかった。父の振る舞いに怒りを露にしていた祖父も、事業で失敗した借金を残してどこかへ蒸発した。自宅には黒服の男たちが訪れるようになり、表で頭を下げる母の声をクローゼットに隠れながら聞いていた。
止めを刺したのは「自分を父親だと思ってくれ」と言っていた男だ。当時、年の離れた兄は他県におり、我が家には女ばかりだった。現代のジェンダー観では笑われてしまうかもしれないが、幼い私にとって祖父と父という<男性性>が頼もしく思え、それを喪失したことが不安でたまらなかった。だからその男は私たち母子を救い出してくれる大きな存在だと信じていた。が、その男も金をむしり取ろうと近づく亡者に過ぎなかった。
周囲の男はいずれ私を捨てていく。身近な男たちによる裏切りは原体験となって私を縛り付けた。
人混みでも臆することなく言葉を放った彼
そして冒頭に戻る。
彼はひとつ年下で、大学のサークルが同じだった。細身の癖に声は大きく、澄んでいてよく通った。背筋をいつもちゃんと伸ばしていて、言葉遣いも綺麗。よく笑って、一重をいっそう細くすることが多かった。どこからどう見ても、愛されて育った男の子だった。
男女の『そのとき』におけるセオリー『告白は3度目のデートで』に囚われていた私の予想を潜り抜け、人混みでも臆することなく言葉を放った彼。声は私に届き、視線は私を射抜き、大学生にしては堅苦しい告白は私に刺さった。『そのとき』一連の出来事を俯瞰で見る自分が囁く。「しんどいなあ」。
私は逃げ出した。改札を走って抜けて振り切った
あまりにもすべてが真っすぐだった。眩しいと思った。この人は幼い私を苦しめた男たちとは違うだろうと正直期待した。
でもそれ以上に私は自信がなかった。家庭に後ろめたいものがある私とは異なり、明るさしか知らないような男の子は幼くて、その光によってかえって私は首を絞められてしまうように感じてしまった。
だから逃げ出した。改札を走って抜けて振り切った。彼とはその後会っていないし、連絡を取ったこともない。
今も私は『そのとき』から逃げ続けている。いつか恋人ができる日には彼のように真摯に思いを伝え、あるいは相手の思いを受け入れたい。
そして彼には申し訳ない気持ちとともに、同じように真っすぐで眩しいくらいの女の子と結ばれていてほしいなどと願っている。