「シミやシワはない方がいい」。きっと多くの人がそう思っている。
だから世の中には「アンチエイジング」という言葉が存在し、主婦がTVを観るお昼の時間帯には「シミやシワを改善する」と謳ったクリームなんかが紹介されている。
私は昔からそういうCMを観るたびになんとなく違和感を感じていた。いかにも「シミやシワがある人は美しくない」、そんな風に言われているような気がして。
26歳になって半年がたった私の顔にも、最近少しずつシミが増えて、シワが目立つようになってきた。目のキワや頬の上あたりには、そばかすのようなシミがポツポツと浮かんでいるし、いわゆるほうれい線とよばれる口周りのシワもなんだか濃くなってきた気がする。
朝起きて鏡をみたとき、新たにシミを発見することもあるのだが、私は不思議と隠す気持ちにはならない。むしろ自分が日々年齢を重ねていることを実感して、「よし、今日も1日を無駄にせず頑張ろう!」という気持ちになったりもする。
◎ ◎
ここまで読んで、こんな私の感覚が理解できない人もいるかもしれない。
当然だ。私がこう感じる理由には、育ってきた環境が大きく影響しているのだから。
私は畑の多い田舎に生まれ育ち、26歳になった今も実家で暮らしている。
父方と母方の実家はそれぞれ車で10分ほどのところにあるのだが、どちらも畑で野菜を育てており、父方の実家に関してはぶどうとお米を育てているれっきとした農家である。
思えば、小さい頃の祖父母との思い出の大半は、畑で過ごした時間にある気がする。
特に、畑や田んぼにいるときの祖母の顔はいつも活き活きとしていて、太陽に照らされた汗がキラキラして見えた。「これは最近植えたばかりでね」と野菜について教えてくれたり、収穫した野菜で料理を作って「味はどう?」と聞いてくる祖母の笑顔は、畑仕事によってできたであろうシミや笑い皺がとても美しく、私はそんな祖母の姿を、幼いながらに快活でチャーミングだなと思っていた。
そんな祖母の娘である私の母も、町で1番と言っていいほどの働き者だ。
持病や加齢によって農家の仕事が段々とできなくなってきた父や祖母に代わり、パートの仕事と掛け持ちで農業をしている。朝4時に起きて畑へ行き、日中はパートの仕事をして終わればそのまま畑へ向かい、暗くなるまで畑仕事をする。これが母の1日のルーティーンだ。
本当に体が心配になるほどの働き者で、へこたれない強さと温かい心を持つ母は、私がこの世で1番尊敬する女性。例えて言うならラピュタに出てくるドーラと魔女の宅急便のコキリ(キキのお母さん)を足して2で割ったような人だ。
◎ ◎
ある日、母は鏡をみながら「シミとシワだらけの顔で嫌になっちゃう」と言った。
そのとき私は、「老けて見えるシミやシワを改善〜!」と謳っていたあのCMを思い出し、私たちが知らず知らずの内にシミとシワは美しさの正反対にあるものであると刷り込まれていたということに気がついた。丁寧に懸命に仕事をする母を美しいと思っている私は、母が誰かの作った「美の基準」に左右され「自分は美しくない」と思っている事実に、心の底から悲しい気持ちになった。
農作業によって日焼けしたシミのある腕や顔。その年齢ならあって当然のシワ。本人は気にしているけれど、私にはどれをとっても醜いなんて思ったことはない。むしろ、化粧によってそれを隠すと言うことは、それまでの母の働きや生きてきた時間を否定しているような気さえしてしまう。
私にとって母の顔のシミは、太陽の下で懸命に仕事をした働き者であるという証だ。
私にとって母の顔のシワは、これまで一緒にたくさん笑い合ってきた証だと思っている。
気が付けば私は昔から、学校の先生でもシミやシワのある人のことを自然体で素敵な人だなと思うことが多かった。農作業と無関係の仕事をしている人に対してもそう思うのだから、私は母や祖母のおかげで、「シミやシワは美しい人にあるもの」というイメージで育ってきたのだと思う。
◎ ◎
だからこそ今の社会にも、たとえ美しいとまではいかなくても「シミやシワはその人が生きてきた素晴らしい証」というイメージが広まってほしいなと思う。
シミやシワのない洗練された顔も素敵だし、それを完璧に隠さない飾り気のない顔も素敵。
どちらの美しさを選ぶかは個人の自由。そんな風に社会全体のネガティブなイメージがなくなり、コンプレックスとして悩む人が1人でも減ってくれたら嬉しい。
自身のエイジング(加齢・老化)に対しアンチではなく、労わりの心でポジティブに捉えられる人が増えることを祈っている。
私にもこれからどんどんシミやシワが増えるだろう。
その度に、キラキラした宝石のおもちゃを1つ1つ宝石箱に入れていた子供の頃のように、ワクワクした気持ちで顔のシミやシワを数えていきたい。