私は今、深夜十二時過ぎにこのエッセイを書いている。オルゴールの音楽を流しながら、オレンジ色の間接照明に照らされて、今日一日を振り返りながらゆったりするこの時間を満喫している。
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夜更かしをすると、いつも不安が押し寄せる。悩み事はたいてい夜に考えると解決しないから、朝に考えなさいとあるタレントが言っていたが、夜が一番反芻しやすいのだ。だからこそ、解決しないと分かっていること諸々を深いところまで考える。そのうち目の前が真っ暗になって、幾何学模様がちかちかと瞼の裏を彩り、深い深い眠りに落ちていく。そうして当たり前の様に朝はやってくるのだ。
今考えていることは、今日一日で私はどれくらい変われたのかということだ。あの人の一言にちくりとしたり、それが決して自分に言われた言葉じゃなくても自分のことの様に感じて胸が張り裂けそうだったり。自分はどうあるべきかを考えようと努めても努めても、理想を超えられる自分になれる気がしない。
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一歩一歩、昨日できなかったことを少しでもこなしていくことが大きな変化につながると分かっていながらも、短期間での劇的な変化を求めてつい急ぎ足になってしまうこともある。何も一日でローマはできたわけじゃないのだから、そう生き急がんと。と知り合いは笑って言っていたが、私はとにかく何かがしたくて悶々としているのだ。飛び立つための翅はあるのに、あとは度胸だけがない。
明日はどれだけ変われるのだろうか。明日は、どのような自分であり続ければよいのだろうか。人には人の天国と地獄があると聞いたことがある。人には人の乳酸菌があるともよく聞く言葉だ。その人なりの基準があって「普通」というものが存在する。私が苦手なあの人にも、それなりの理由があって本当はとてもいいところを持っているのかもしれない。あの人にとっては、私は普通とかけ離れた合わない対象なのかもしれない。だけど、そんなちぐはぐな世界でも生きていくしかないのだ。 人それぞれの個性を理解しつつ、欠点を補いながら、自分はどうあるべきかを模索していくしかないのだ。
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私は夜になるとこういったことを深いところまで考える。仕事をして、家に帰ってあついおふろにゆっくりと浸かり、少々の夜ご飯を食べ、ゆったりと自分の部屋で好きなアロマのにおいに癒されながら。
現在二十三歳、このままの人生は嫌だと思っている。常にやりたいことから遠ざかりながらまわりまわって生きてきた人生がとても嫌だと思うことがある。その時その時はきっと本気で、最善の道を選んだのかもしれないが、時がたてばマンネリ化し退屈だと感じてしまう。平凡が一番幸せ。暇が一番幸せ。そう分かっていても、変化のない毎日が私は嫌いだ。SNSを見て、私のやりたかったことをやっている人を見ている時間。その時の私の顔は一番憎いはずだ。嫉妬にあふれかえった、飛び立てない人の顔をしているはずだ。
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本当に私がやりたいこと。それは、保育士ではなくなった。もっともっと、ハンドメイド作品を作りたい。子供服からカバンまで。編み物だって心から好きだ。小説を書くことももっともっと頑張りたい。自分の文章の中で一文でも心に残って誰かのプレゼントになれるような言葉を紡いでいきたい。
次第にパソコンをたたく力が強くなる深夜一時。このエッセイを書くまで一時間もかかってしまった。それだけ自分が今何を本当にやりたいのかを考えながら必死に描いた言葉たちが、誰かの背中を押せたなら。未来に自分の背中を押せたなら。
拝啓十年後の自分へ。私はどれだけ変われていますか?