いつから私はファストファッションを身につけるようになったのだろうか。
今、私の周りにはUNIQLO、GU、Honeysなど数多くのファストファッションブランドの服で溢れている。
もちろん私はファストファッションが好きだ。私たちにはなくてはならない存在である。
また、私は古着も好きだ。自分に合うヴィンテージの服を見つける過程がとても楽しい。古着がどのような過程を経てお店にやってきたのか、そのストーリーを考えるのも面白い。
ブランド品は私には高くて買えないが、古着なら買うことができる。それもちょっと嬉しいし、古着の良い点である。
しかし私は時々恋しく思う服がある。ファストファッションでも古着でもない。

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それは幼い頃に母が私のために作ってくれた洋服たちである。
ワンピース、スカート、ジーンズ…
それ以外にもマフラー、ランチョンマット、体操着入れ、お箸入れ、ポーチなど私の周りの必需品は全て母が手作りしてくれた。
母は小物類を作るとき、かぎ棒を使って編んだり、手縫いでチクチク布を合わせたりして作っていた。
洋服を作るときは布選びから始まり、型紙からパターンを取り、切ってミシンで布を合わせていた。
平日は仕事でクタクタなはずなのに、休日の時間を全て使って私に洋服を作ってくれた。仕事から帰ってきたあとも休まずミシンを動かしていた。

私は小学六年生まで母が作った洋服を着ていた。
私の洋服を採寸する時に、母は「もうこんなに大きくなったんだね」とよく呟いていた。
私は小学六年生になっても洋服を作り続ける母の姿をずっと見てきた。
「服を一から作るのは大変なのになぜそんなに作るのだろう」と私は思っていたが、ミシンを動かす時の母の顔はいつもキラキラしていた。
洋服が出来上がるとすぐに私のもとに持ってきて「着てみて!」と笑顔で言った。そして、私が出来上がった洋服を着ると「すごく似合うね!作ってよかった!」と私を抱きしめるのだ。
私はそんな母がとても大好きだった。

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しかし、母の洋服との別れは突然やってきた。
別れの原因はとても単純だった。ミシンが壊れてしまったのだ。
母が使い始めてから20年以上経っていた。修理が必要になるのも当然のことだろう。洋服などを縫うときはミシンがないと非常に厳しい。手作業では一着作るのに時間がかかりすぎる。
何とかミシンを直そうと修理屋さんに持っていったが、「直すよりも新しいミシンを購入したほうが良い」と言われてしまった。ミシンを修理するより新しいミシンを買ったほうが安いのだ。
悲しげな表情をする母に父は「新しいミシンで洋服を作ればいいじゃないか?」と言ったが、母は首を縦にふることはなかった。
それ以来ずっと我が家には動かないミシンがある。粗大ゴミに出さず、ずっとあるべき場所に置いたままになっている。
母はきっと今まで使ってきたミシンに愛着があったのだろう。だから新しいミシンを買うのではなく、使えなくなったミシンを手放すことなく持っているのだ。

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母が作ってくれた洋服はサイズが合わなくなり処分せざるを得なくなった。最初は捨てるのかとても心苦しくてクローゼットの中に隠し持っていたが、母に見つかり「もう捨てちゃいなー」と言われて泣く泣く手放した。
ミシンが壊れてしまったことは正直ショックだった。
私は中学に入ってからもミシンを使って洋服を作る母の姿を見ていたかった。
あのときの母は誰よりもキラキラしていて、誰よりも楽しそうだった。

ミシンの神様
もしいるのなら我が家のミシンを生き返らせて
もう一度、母のあのときの顔を見させてほしい