シャンプーをしてリンスを髪に塗りたくる。美容室で髪の毛を整えてから早数カ月、それでもベリーショートに分類される私は、5分もあれば十分である。そしてリンスを馴染ませている間に、身体と顔を洗ってさらに5分。その後シャワーを頭から浴びて、その他諸々ちゃちゃっと済ませると、最近の私のお風呂時間は大抵15分程度で終わる。

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浴槽にお湯を溜めて、指先がとろけるまでお風呂時間を満喫することもあるけれど、そんなのは稀で。独り暮らしを始めてから、毎日湯船に浸かれる有難さを知った。

しっかりと身体を温めた方が健康にも美容にも良いと、あちこちでよく耳にする。けれどガス代も浴槽を掃除する手間も時間も面倒くささもバカにならないから、基本はシャワーでカラスの行水。ゆっくりお風呂は、たまにのご褒美というように使い分けている。

だからしばらく自分を愛せていないことに気づいたとき、私は長らく湯船に浸かっていなかった。いつも通り効率的に身体を清めていた日、顔を洗い終わった後の自分の顔がやけに疲れて見えたのである。そもそも自分の顔をまじまじと見たのも久しぶりだったかもしれない。

「あれ、私ってこんな顔してたっけ」

開いた毛穴に、気づかない間にできて治ろうとしているニキビ。覇気のない瞳と隈。そして不満げに飛び出た唇。私の顔全体が、必死で私に訴えかけていた。

愛されていない。満たされていないと。

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お湯に身体を沈めて、ゆったりと過ごす私のお風呂は、ただのお風呂ではない。

ご褒美として、疲れている自分を、日々頑張って生きている自分を癒すために。明日からまた何とか生きていく力を回復させるために、全力を尽くす。

アロマを焚いて、本やスマホと飲み物を持ち込んで、好きなだけお湯とたわむれる。そしてその後は、足の指から頭のてっぺんまでマッサージをして、いつもより時間をかけて丁寧に優しく洗ってあげるのだ。これだけでかかる時間は普段のお風呂の4倍以上。

さらに、値段が張るものだからと普段は大切に使っている美容液やらパックやらを惜しみなく使って、お風呂から出た後も自分自身を喜ばせる。面倒だからと省いてしまう工程も、ひとつ残らず全部やる。それはもう、デートの前夜よりも気合を入れて。

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ところで、私は今現在無職である。半年程前に仕事を辞めてから未だに転職活動もせず、貯金を浪費し、親と恋人の脛にかじりつきながら、日々をだらだらと過ごしている。

毎日早起きをする必要も、化粧をする必要も、先輩に返して貰えない挨拶をする必要も、上司に愛想笑いする必要も、ミスがないか心配になる必要も、残業する必要も、帰って明日の出勤に怯えながら寝る必要もない。ひとことで言えば「頑張る必要のない」生活。

一日の大半はベッドの上で、さして興味のないSNSを永遠とスクロールしては、膨れ上がっていく嫉妬と不安を抱きしめながら眠る。そんな日々の繰り返しで。

だから毎日、私は思っていた。今日も頑張れ無かった、と。そんな私にご褒美をあげられるわけがない。けれど鏡の中で不満気な顔をしている私の顔は、そんなこと言ってなかったのである。

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不安に思いながらも一日生きた。少しだけ健康的な夕飯を作れた。明日のことを、将来のことを考えられた。実行できたかは別として、今日も一日頑張ろうって思えた。

頑張りきった日も、何もできなかった日も、どちらもその日を精一杯生きようとしていたことには変わりないのだから。だったら自分を責め立てるよりも、そのことを褒めてあげた方がいいに決まっている。

「そんな簡単に自分を褒めてあげられたら、苦労しないんだよな」

そんなことを思いながらも、その日は鏡の中の私の意見を尊重して、急遽ゆったりお風呂タイムに変更した。湯船の代わりに熱いシャワーを浴びながら頭と顔をマッサージして、スキンケアもいつもより念入りに。私は私に時間をかけて、出来るだけ大切に扱った。

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自分に時間をかけることは、自分を大切にすることに、愛することに繋がる。けれど私たちは、他人には優しいのに自分にはちょっぴり厳しく接してしまったり、どうしても忙しかったり、どうでもいい人の約束を優先して、自分との約束は守れなかったり。毎日の中で無意識のうちにちょっとずつ、自分を疎かにしてしまう。

だから私は、鏡の中の不満げな私に会ったその日から、たまにお風呂場で問いかけているる。

私は私に愛されてる?大切にされてる?最近どう?