ずっと、演劇を続けるんだと思っていた。

「舞台俳優になりたい」と志してから20年余り、できれば年間通して、休みなく演劇をしていたいと思い続けてきた。受験や就職活動で活動の中断を余儀なくされたことはあったけれど、それでも小さなチャンスを逃さないようにして、年に一度は何かしらの舞台に出演するようにしていた。

とにかく、舞台に立っていたかった。稽古をしていたかった。手元には常に、次に出演する舞台の台本があるという状態が望ましかった。ずっとずっと、このままの気持ちで生きていくんだと思っていた。

コロナが世界にやって来るまでは。

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ちらほらと噂が広まりだした頃は、まだ私は舞台に立っていた。1月、2月と続けて公演を終え、3月の公演は開催を危ぶまれたが、どうにかこうにか最後まで走り抜けることができた。

そして、ぱったりと舞台の予定が途絶えた。

自分の判断で公演を中止したこともあったし、中止するか延期するかを座組全体で話し合うことも何度もあった。

すぐに、リモートで何かできることをしようと声を上げる人たちが出てきて、オンラインでの配信公演や映像作品の公開が次々と行われた。私もそれらの作品に参加したり、自分でも演技の様子を撮影した動画をアップしてみたり、とにかくできることはやってみようとしていた。

それでも、1ヶ月、2ヶ月と経つうち、だんだんと心に虚無が広がっていくのがわかった。治療法が確立されていないウイルスで、自分や家族が死ぬかもしれない。罹患したら、たとえ治ったとしても後遺症が残るかもしれない。もしかしたら、永遠にマスク生活が続くのかもしれない。もう一生、私が舞台に立つことはないのかもしれない。そんな考えに囚われていくようになった。

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コロナ禍にあっても、それなりに日々は過ぎていった。

ウイルスの流行とほぼ同時期に完全な無職となった私は、職業訓練すら開催中止になるような状況下で、なんとかやりたいことを探しながら生きていた。そうしてだんだんと、演劇のことがどうでもよくなっていった。

舞台がなければ生きていけないというほど演劇にのめり込んでいた私が、スーパーやドラッグストアと自宅を往復しながら、ごく平然と毎日を生きている。手作りごはんに凝ったり、自室でのエクササイズでダイエットを試みたりする日々も、やってみればそれほど悪いものではなかった。

私、もう演劇がなくても生きていけるんだな。そう気付いた瞬間、ふっと心が軽くなった気がした。

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思えば、砂漠で水を欲するような、疲れ果てた体にエナジードリンクを流し込むような、そんなギリギリの精神状態で自己表現の場を求めていたのかもしれない。学校や会社で過ごす時間が辛くて、感情の捌け口にできる場所が欲しくて、逃げ込んだ先が舞台だったのだ。

そして、いざコロナ禍になった途端、逃げ出す原因となった会社も学校も、自分の生活には存在しなくなっていた。なあんだ、と拍子抜けするとともに、こう思った。演劇をやろう。また舞台に立とう。今度は、趣味も日常生活も投げ打って没頭するのではなく、もっと地に足をつけて、他の仕事をしながら俳優を続けよう、と。

舞台俳優として生きるか、完全に諦めて別の道に進むか、自分の人生にはその2択しかないと思っていた。奇しくもコロナ禍が、演劇がなくても生き延びられるという可能性を示してくれたから、「舞台がないと生きていけない」のではなく、「舞台が好きだ」と思えるようになった。

環境の変化なしに、この心境には辿り着けなかったかもしれないと今でも思う。決してコロナ禍のおかげとは言わないけれど、あの出来事を一つのステップに変えて、私は兼業俳優としての道を今も歩んでいる。