「なんて、人情味のない町なんだ」

昨年の秋、就職活動中の私は大手町に降り立った。五日間のインターンシップのため、地元関西から上京した私は、「どこへ遊びに行こうか?」なんて考えながら、おんぼろのスーツケースを転がしていた。

かなり浮かれていたようで、宿泊先のホテルがなかなか見つけられない。道を尋ねようと周囲を見渡す。しかし、誰一人として目が合わなかった。それもそのはず。通行人は皆、スマホをじっと見ている。「関西なら、誰かと必ず目が合うのにね」どうしようもない。私もスマホとにらめっこして、なんとか目的地までたどりついた。

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翌日から始まったインターンシップ。四人一組となり、お題に対する答えを話し合うグループワークが課された。運命の鍵を握るグループメンバー。周りを見渡すと、どんなに努力をしても合格できない大学の学生ばかり。「この人たちとは住む世界も見える景色も違う」秀才を前に圧倒され、自分から壁を作ってしまったインターン初日だった。

それから当分の間、メンバーの議論をただただ見守っていた私。劣等感から気づくとお地蔵さんになっていた。自分の意見を求められても、周りの意見に合わせてしまったり。議論が行き詰った理由がわかっていても、遠慮して言い出せなかったり。なにも貢献できていない自分。ゴールの見えない話し合い。突破口が見つからず、もどかしかった。

インターンも三日目が過ぎたころ、とある社員の方と目が合い、こんな言葉を掛けられた。
「打席が回ってきたら、空振りでもバットを振らないと」東京にもちゃんと私を見ていてくれる人がいるんだ。そして、手を差し伸べてくれる人がいるんだ。前言撤回。東京にも人情味があることを実感した瞬間だった。

それからは目の前の秀才たちと真正面から向き合うことにした。よいと思ったことには「いいね」と、おかしいと感じたことには「おかしい」と、議論が煮詰まってきたら、「休憩しよう」と。つけていた色眼鏡を外した。自分の殻を破った。エリートだからと言って、遠慮することなく、遠慮することこそが不誠実だと信じて。すると、気づいたら、議論の中心には私がいた。終わりの見えなかった議論も無事、ゴールを迎えることができた。

インターン最終日。あの言葉を掛けてくれた社員の方と再び、話す機会があった。「五日間で一番、成長したね」と。やっぱり、東京にも私を見ていてくれる人はいる。

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田舎育ちの私には、駅前でキョロキョロしていたら「どうしたの?」と、途方に暮れたときに「大丈夫?」と、いつでもどこでも心配してくれる人がいた。田舎は真っ直ぐな優しさであふれていた。
東京でさまよった私に、「どうしたの?」や「大丈夫?」とすぐに声を掛けてくれる人はいなかった。それでも、私を見ていてくれる人はいて、その人からの言葉に救われた。東京の人はちょっぴりシャイなんだろう。優しさがわかりづらい。優しいことを隠そうとする。気づくことができれば、慣れてしまえば、ゆがんだ優しさも案外心地よい。

東京で必死に生き延びた五日間。それまで、正直、東京の何がいいのかわからなかった私。自分のことしか考えていない、自己中心的な人が多いんでしょうと勝手に決めつけていた。今振り返ると、大きな勘違いをしていたと思う。色眼鏡を外して、ちゃんと東京の人たちと向き合って、わかったこと。田舎だろうが、都会だろうが、その形は違っても「優しさ」は存在するんだ。

知らないことがたくさん眠っている場所。気づいていない大切なことに気づかせてくれる場所。そして、知れば知るほど愛着が湧いてくる場所。

私にとって東京とは、磨けば磨くほど輝く「原石」だ。