いくつかコーヒーの思い出がある。
私は小さい時からコーヒーが飲めた。苦手だと思ったことも、体に合わなかったこともない。幼少期の写真で既にコーヒー牛乳を飲んでいるものさえあった。今では飲み物を選ぶとなるとコーヒーを選ぶことも多い。コーヒーをフックに、子どもの頃や大人になってからの、いろいろな記憶が蘇った。
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小学生の夏休み、小さなお店をやっていた祖母の家で、お店の冷蔵庫から持ってきて飲んだ紙パックのコーヒー牛乳。大学時代、ゼミの時間に先生が淹れてくれた美味しいブラックコーヒー。本当に美味しいコーヒーは冷めても美味しい。と教えてくれた。新卒一人暮らしの頃、終業時間が近くなると先輩社員に「残ってるけど飲む人?」と聞かれ、空のマグカップを持って給湯室まで小走りで取りに行ったコーヒー。実家に帰れば、無愛想な父が部屋の扉を雑に開けながら「コーヒーいる?」と聞いてくる。最近では、深夜の喫茶店で、店主が目の前で淹れてくれる少し高級なコーヒーを飲みながら話した時間が楽しかったこと。思い出そうとすると、誰かと一緒にいた時の記憶が多い。
ある時、恋人とも友達とも言えない彼と、彼の部屋で過ごしていた。もう時間も遅く、私は今にも眠りに落ちそうだった。横になったままぼんやりしていた私に彼が言った。
「コーヒー淹れたら、少し飲む?」
「これから?」
聞き返してしまった。次の日も仕事の私が、3時にコーヒーを飲むのは危なすぎる。カフェインには強い方だと思っていたけど、いざ飲んだらきっと焦って眠れなくなる。
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「少しだけ」
そう返して、彼がコーヒーを淹れるのを待っていた。色が白くて、横顔が綺麗な人だった。私は液体が熱すぎると飲めないので『そういえばこの人、私がよくコンビニのアイスコーヒーを買うのをきっかけに、自分も冷たいコーヒーを飲むようになったとか言っていたな』と思い出したりしながら、しばらくは彼を見ていた。なんでもない話をして、ひとつのカップでコーヒーを飲んだ。彼は私と違ってカフェインに弱い。飲みすぎるとお腹を壊すので、いつも温かいコーヒーを少しずつ飲んでいた。私も眠りの妨げにならないように飲み、それからしばらく話していたが、私は彼より先に寝てしまったらしい。
翌日電車に揺られながら考えていた。ものすごく夜型の彼はあんな時間にコーヒーを飲んで、やっぱり朝まで眠れずに起きていたようだった。私もそれに、睡魔に負けるまでは自然に付き合っていた。
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話したかったんだな。彼も、私も。と、ふと思った。それと同じくらいにコーヒーを飲みたかったのかもしれないけど、ちゃんとした恋人同士ではない私たちは、もっと話したいから起きていたいね、とは言い合えなかった。私は、なんとなく起きていてしまう理由が欲しかったのかもしれない。あるいは、何か同じ事を彼とすることで、繋がりがあるように感じたかったのかもしれない。それでも直感的に、これより距離が縮まることはないと確信していた。でも不思議と悲しくはなかった。
これからもきっと誰かとコーヒーを飲んだ思い出は増えていくと思う。それらはきっと、書き留めるほどでもないことばかりだとも思う。