「東京出身なんですね?私、東京出身の人なんて初めて会いました。すごいですね!」幼少期からずっと住んでいた東京を離れて、京都に就職して初めて知った。どうやら「東京出身」にはちょっと異色なイメージがあるらしい。
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生粋の関西人の同僚と話していると、彼ら彼女らの持つ東京のイメージが垣間見える。芸能人がよく訪れる代官山のレストラン、表参道に立ち並ぶ高級アパレル店、猥雑で近寄りがたい歌舞伎町、一晩中きらめき続ける夜景、そんな場所で夜通し働く、たくさんの人たち……おしゃれだけれども冷たい街、というイメージだろうか。
東京にそんな側面があるということは、多分間違ってはいない。けれども当然そんな人ばかりではないし、私の20年強の東京暮らしの中では、そんな華やかな世界は、決して日常のものではなかった。おしゃれなレストランも繁華街での夜遊びも、東京タワーが見えるマンションも、東京の東京らしさを享受するには、莫大なお金がかかる。だから4人暮らしのサラリーマン家庭で、質素な暮らしをしていた私には、それは雲の上の話だった。
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私が東京と聞いて連想するのは、朝と夕方だけ賑やかな古い駅舎。小学生の頃に、宝物の石を見つけた公園。17:30に町中に鳴り響く「遠き山に日は落ちて」。10歳のころはまだあったはずの、町の商店街。みんな閉店してショッピングセンターが代わりに建てられたのは、確か中学生の時だったか。
富士山がやたら綺麗に見える、高校の前の坂道。毎朝、自転車で駆け上るのが、ちょっとしんどかった。高校時代は、勉強と部活の繰り返しの毎日だったような気がする。でも今思い出すと、生活の全てが愛おしい。小規模だけど熱意はあった吹奏楽部、実は高校生の気持ちを意外と知っている先生、準備中は憂鬱だけど当日は楽しい体育祭、ダサい制服とこだわりのカーディガン、大人になった今だからこそ「尊さ」が染みる。
放課後に何時間も友達と話し込んだ日もあったけれど、何を話していたんだろう。残念だけれど、もう忘れてしまった。普段は帰り道の公園で立ち話、たまにマックで何時間も話し込んでいた。電車で3駅離れたスタバは、年に数回きりのとっておきのご馳走だった。
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大学受験はちょっと上手くいって、郊外にあるひっそりとした大学に通うことになった。大学生になると一気に世界が広がった……わけでもなく、相変わらず部活と勉強が私の軸だった。部活と勉強に時間を取られ、バイトは週に2日くらいしかシフトに入っておらず、常に金欠だった。でも勉強と部活の合間に、大学の裏の芝生が茂る公園でピクニックをしたり、空きコマの間は学食で友達とおしゃべりをした、ささやかだけれども楽しい大学生活も気に入っていた。一度、渋谷でバイトをしてみたけど、自分と同じくらいの年の女の子が、数十万円もするブランドバッグらしきものを持っているのは、何度見てもギョッとしてしまった。東京の街にはいろいろなお金の稼ぎ方があり、20歳そこそこの女の子でも大金持ちになる可能性はあるらしい、とわかったけれども、東京の端っこで庶民をやっていた私には、ついぞ縁のない話だった。
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私の東京での暮らしは、地味で平凡でありふれているかもしれないけれど、思い出が詰まった温かいものだった。きっと私は、誰もが故郷に抱いている憧憬を東京の郊外の片隅に抱いている。けれども、それを会社の同僚に伝えようとしても、彼ら彼女らは「華やかで冷たい街」という東京のステレオタイプを崩してくれない。
私の東京での日々が、どんなに地味なものかを伝えようとしても、結局は「でも東京だから」で一蹴されてしまう。「あなたは田舎暮らしを知らないから。」そんなことを言われると、何を言っても無駄だから私も黙るしかない。
でも本当は、東京出身はすごくない。東京の庶民は、東京のきらびやかな街は知らないから。知っているのは、どこにでもある町並みとささやかな暮らしだけだから。だから東京人はイケすかない、だなんて悲しいことをいうのはやめてほしい。