この手の話題は苦手な人もいるかもしれないので、気分を害させてしまう恐れがあることを先にお伝えしておく。
私がずっと待っているものは"世界平和"だ。
とても大きなことを言ってしまうけれど、本当に世界が平和になるのを願っている。
基本的に欲しいものは自力で勝ち取れという思考なので、大抵のことは自分の努力次第と思うけれど、こればかりはどうにもならないことだから。
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私は小さい頃からこういう話題に関心がある方だと思う。
小学校の頃は原爆で被害者についてネットで調べ漁り、頼まれてもいないのに資料をまとめて夏休みの宿題と共に出した。
中学で行った修学旅行先の沖縄では体験者のお話もガマへの訪問も1番前を陣取った。
高校の頃は同じくそういったことに関心がある友達と顔を合わせる度に、民族紛争について語り合った。
大学になってからは、何かニュースで取り上げられる度にその原因をネットで片っ端から調べ上げ、なぜ戦争に至ったのかを必死に理解しようとした。
社会人になってからもそのクセは抜けず、友人たちは嫌がるだろう話をタクシーの運転手さんなんかに聞いてもらったりする。なんて迷惑な客だろうか。
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日本にいると想像すらつかないことが日々起こっている。
私たちからするとあまりにも非現実的すぎて、テレビの中の話だと、まるで映画のようだと感じるけれど、現実なのだ。
その殺し方というのもまた残忍かつ容赦ない。
特に心が痛むのは一般人を巻き込んだ戦争だ
たまたま行ったコンサートで日本人だからと殺される。
ピンポンがなって宅配便かと思いきや突然殺される。
そんな場所から逃げ出そうとすると見つかって殺される。
かといって家にこもっているといつ爆弾が落ちてくるのか分からない。
それが同じ地球上で日々起こっているのだ。
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もちろん殺す方だって辛い。
中にはもう何も感じなくなってしまった人もいるけれど、大半はやはり人間の心のまま殺人マシンとして働かなければならず、軍人として働いたあとPTSDで苦しむ人を何人か知っている。
時折見せる恐怖に満ちた目を見る時、大量の薬を飲む姿を見る時、やはり人を殺すということは容易ではないのだと感じる。
"戦争"とか"虐殺"とか、そういったものを恐ろしいと感じるのは、自分がまだ子供で、感受性が豊かだからなのだと思っていたけれど、大人になればなるほどより一層その苦しみに感情移入して辛い。
250人死亡と、字面だけ見ればそこまで苦しくはならないけれど、その人たち全員に人生があって、大切な家族や友人がいて、幼い頃の美しい記憶や将来の夢があって、それが一瞬の間に250消え去るのだ。
消え去るものはそれだけではない。その人たちを愛する人たちの幸せをも一瞬にして壊してしまうのだ。
残された人の気持ちを考えるだけで、苦しくて悲しくて言葉に出来ない。
人を思う気持ちを知った大人だからこそより戦争の残忍さを感じるのかもしれない。
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これだけ恐ろしい戦争だけれど、じゃあ誰が悪いのか?となると、大抵の戦争に悪役はいない。
それぞれに何か守るべきものがあって、何か主張したいことがあって、それらがぶつかった時に戦争になるだけだ。
Aから見ればBは悪役だし、Bから見ればAは悪役だけれど、第三者の視点で捉えるとどちらの言い分も理解できてしまうことが多い。
おまけに戦争をしている人が悪者とは限らない。
人を殺すという面においては最大の悪事を犯しているが、意外と裏では奉仕活動に積極的だったり、その国以外に対しては友好的だったりする。
調べれば調べるほど、分からなくなる。
けれど一つ言えるのは戦争は良くないし、戦争は何ももたらさない。
私が魔法使いならば、私が神様ならば、そんなもの、世界から一つ残らず消してやるのだけれど、私の願いが一日でも早く現実になればいいなと思う。