この世には、コーヒーが好きな人間と嫌いな人間、厳密に言うと、コーヒーが飲める人間と飲めない人間が存在する。

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私は後者の、コーヒーが嫌いで飲めない人間である。

「この年になってコーヒーが美味しく感じるんだよね」

中学生のときから一緒の友人が唐突に言った。

カフェに入って、メニューを渡されて、さあ何を頼もうかと迷っていた中での言葉だった。

私は「へえ、じゃあコーヒー頼むの?」と聞き、友人はしたり顔で頷く。

「まだ飲めないもんね?」

ああ、出た出たコーヒーマウント。

学生のときは一緒にオレンジジュースを頼んでいたのに、コーヒーが飲めるようになった瞬間、自分は大人の階段を一段上りましたと言わんばかりの表情で、言ってくる。

こういう人が一定数いる。

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「コーヒー好きじゃないだけ、別に飲めないわけじゃないよ」

ああ、私もどうしてそこで強がってしまうのだろう。

苦すぎて飲めない。

それに、舌の上にいつまでも残るような感触がなんとも苦手で、美味しいと言いながら飲む人が信じられない。

私はこの先ずっと、とりあえずビールくださいのノリで、コーヒーをブラックで、と店員さんに伝えられる日は来ないのだろうな、と思う。

コーヒーを幼い頃から飲んでいる人は少ないだろう。

年を重ねて、段々と身近になり、飲まないとやっていられない体質になって毎日飲んでしまう、という友人もいた。

不思議な飲み物だなと思う。

20代前半の私だが、今でも1番好きな飲み物はオレンジジュースで、迷うと必ず頼んでしまう。

それでも、毎日飲みたいとまでは思わないし、もちろん飲まないとやっていられないなんてことはない。

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コーヒーは一種の人生のボーダーライン。

飲めるようになると大人だという基準が何となく根底にあるような気がしてしまうし、飲めないとまだまだ子どもだと判断されてしまうような気もする。

私は、今でも「コーヒーまだ飲めないの?子どもだね〜」と揶揄われることもある。

お酒は成人を過ぎてからだから、まだ飲めない、という言葉の意味はすんなりと入ってくるけれど、年齢関係なく誰でも飲むことが可能なコーヒーに対して、まだ飲めないというのは謎だ。

それに、コーヒーが飲めないから子どもだ、という考えがあるのも変な風習だなと思う。

苦いから、苦味に耐えられるだけの年齢になっていないということだろうか。

でも、コーヒー苦いと言いながら、好んで飲む人はそういないだろう。

みんな、美味しい美味しいと言いながら飲むのだから、美味しい飲み物であることは間違いない。

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じゃあ、コーヒーって何なんだ。

自分が飲めない側の人間だからか、初めて見た物体の正体を知りたい小学生のように、なんだなんだと気になってしまう。

一緒に入ったカフェで、友人はコーヒーを、私はオレンジジュースを頼んだ。

「またオレンジ?うち、最近ジュースとか飲んでないな」

「私は家にオレンジジュースを常備してるよ」

「え、やば。子どもじゃん」

「家にコーヒーとかないの?」

「あるよ、毎朝飲むもん」

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ほら、ほら。おかしい。

お互いに好きな飲み物を家に置いているだけなのに、この仕打ち。

悔しい。

私はコーヒーのせいで悔しい思いを何度もしている。

もはや、ライバルのように感じている節もある。

いつか、世界中のコーヒーを飲み干してやる。

私だって、お砂糖をたっぷり入れたら飲めるんだから。

ブラックコーヒーが飲めないだけだから。

コーヒー牛乳は好きだし。

こういう思考になってしまうのが、子どもだと舐められる要因なんだろうな、と最近分かった。

いつかコーヒーに寄り添い、あのときは敵視していてごめんねと謝ろう。

そんな大人な気持ちになれるまで、コーヒーはまだ飲めない。