例えば、大好きなアーティストのライブや推しのイベントに参加した夜。ベッドの中でグッズを抱きしめて、写真を見返して、音を、声を、空気を甦らせて、余韻に浸る。ああ、あの曲間のトーク、良かったなあ。あの曲は夜のうちにもう一度聴こう。彼に出会ってもう何年か。何年前は、あの番組で彼を見つけたんだった、あの頃わたしは何歳だったかな。

そして、また来年も会いに行こう、と決意する。その人のために仕事頑張ろう。その人のために貯金しよう。また来年同じ場所で、もしくは違うどこかで、同じ空気を感じよう。

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例えば、身震いするような演奏を聴いた夜。管楽器から口が離れているのに音がまだ残っている、そんな演奏会のあと。あれは錯覚だったんだろうか。奏法なんだろうか。ホールの響き方なんだろうか。あの曲は何度も聴いたことがあるのに、今までとまるで違うのはどういう理屈なんだろう。そもそも音楽に理屈なんてあるのか? あそこまで音楽を極めるためにどれだけのことを犠牲にしたんだろう。言葉通り全てを捧げて、本気で楽しむための実力を手に入れるのに、どれだけの精神力が必要だったんだろう。そしてきっとまだまだだと思っているんだろうな、言葉が見つからないな。

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例えば、記憶がないくらい最高なステージに立てた夜。最高潮の瞬間までの記憶や、そのあといただいた拍手は記憶にあるのに、瞬間の記憶だけが消える、そんなステージ。あの瞬間、わたしはちゃんと演奏できていたんだろうか。堂々とミスをして、仲間たちを戸惑わせてはいないだろうか。どんな表情で、仲間にどんな背中を見せて、どんな音を奏でたんだろうか。思い出せないけど思い出せる、直後の拍手と家族の笑顔。それがわたしの演奏を物語ってくれる。

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例えば、死にたくて仕方なかった夜。未来にどんな幸せが待っているとしても、今この瞬間のつらさから解放されることをひたすらに祈った。でもそんな自分を支えるために、自分の大事な人が苦しんでいた。何度も「もう解放してあげたい」と思った。それでも大事な人たちは、わたしを大事に思ってくれていて、そのギャップに苦しんだ。死にたいと思う自分。大事な人たちに癒えない傷を与えたくない自分。生きているだけでいいと言ってくれる大事な人たち。

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例えば、1週間分のアニメを観る夜。毎週休日前夜には、1週間分のアニメを一気に消化する。まずあれを見て、これを見て…金曜日の仕事中は、そんなことばかり考えている。もはや仕事というより週末準備である。アニメは1話20分ほどとはいえ、1週間分となると、夜はあっという間に朝になる。そこから寝て、お昼に起きる、ここまでセットで「夜更かし」だと感じている。

例えば、あなたと過ごす夜。あなたの寝顔を独り占めできることが、こんなに幸せだなんて思ってなかった。当たり前じゃないこの時が、どうか死ぬまで続きますように。