12月になると、2度目の合評会を迎える。

合評会というのは大学で取り組む卒業制作に向けて執筆していくなかで、学生同士でお互いの作品について意見交換をする場だ。もちろん現役で小説を書いているプロの講師の方々からも、創作への的確なアドバイスを頂く機会でもあるからこそ、どんな作品にしたいかを発表するときは緊張してしまうのだ。

初の合評会は9月に行われた。私の発表は2日目の最後で、学生の皆さんが活発に意見を述べていることに圧倒されるなかで、自分の発表が近づくにつれ心臓の鼓動は高まる一方だった。

◎          ◎

ずっと恋愛小説を書きたかった私は、合評会の事前課題として作品概要と草稿を書き出している。そのなかで、小説は作者にとって大事な分身のようなものだということがわかってきたのだ。

自分の内側から湧き上がってくる想いや想像を紡いでいく小説を、読者が惹きつけられるものとして書くためには、心の奥底に眠っている泥臭い部分を引き出していかなければいけない。それくらい大事に育てていくことになる小説の魅力を発表することは、どうしても緊張してしまうものだった。

書くことで初めて、今思っていることを吐き出せるけれど、口頭で伝える方が難しいと感じている私にとって、15名ほどの学生さん、担当してくださる先生のまえで発表している最中も震えが止まらなかった。

ここは、はっきりと怖がらずに大事な我が子のような小説に愛情をもっていることを伝えなければいけない。そんな使命が、緊張するなかで湧き上がってきた。

 書くことで十分に伝わることと、息遣いや声色でやっとずっしり伝えられることもある。

書くうえで失敗したとしても何度でも消しゴムを使って直せるけれど、書かずに口頭で伝えることは1回きりで消しゴムを使う手段はない。取り消しのできない伝えかたに恐れてしまっていたけれど、口にすることで初めて見えてくる自分もいるということに緊張しながらも発言することのメリットを実感できた瞬間でもあった。

言いたいことを言い終えた瞬間に身体の力が抜けていく瞬間が好きな私は、12月に同じ緊張感を味わいたいと思う余裕が生まれるかもしれない。

想いを伝える方法はたくさんある。書くことで想いや経験を発信することが好きだし、自分が書いた作品を直接褒めてもらうことももっと好きだ。自分が書いたものを褒めてもらえた時、自分の存在を肯定してもらえたかのような癒しに包まれるのだ。

これも合評会で学生さんから、作品のこの部分が良かったと褒めてもらえた時、緊張の先にあった心温まるものだった。

◎          ◎

2度目の合評会が迫る中で、もう緊張しないと宣言したいところだが、そのときの場の空気にまれやすい私は、今のところ断言はできない。

最近、私は緊張することは良いことで、一生懸命に向き合おうとする姿勢が緊張に現れていれば何も恥ずかしくないのだと思っている。大人より子供の方が怖いもの知らずで、緊張することが少ないのかもしれない。しかし大人になると、相手にどう思われるのかを気にすることが増えていけばいくほど緊張はつきものになる。

緊張しない大人に憧れる時期もあったけれど、緊張することで自分と向き合う時間が増えると感じている今、それが愛おしくなってきたのだ。

中高生の頃、私はいつも入学式前日の夜は緊張して眠れなかった。勉強のこと、新しいクラスのことばかりに気を取られて、勝手に緊張していたけれど、当日は思っていたよりポジティブな朝を迎えることができたのを鮮明に覚えている。

緊張しているのは私だけではない。きっと皆が緊張しているから、1人じゃない。そう思うだけで、張りつめていた身体の硬直がほぐれていくようだった。

これからも続く人生で緊張する場面が待ち受けているとしても、恐れずに成長するチャンスがめぐってきたと捉えて味方につけたい。