ずっと自信がない私にとって、書くことは一つの生きがいである。大した才能もないし、キラキラした女優さんのように容姿端麗というわけでもない。だから正直、「好きです」と告白されても、ずっと好きでいてくれるという自信は全くない。その分、好きになってもらってからも努力を積み重ねていくしかないのだと思っている。こんなことを書くと、ネガティブな人だなあと思う読者の方がいるだろうけれど、そんな自分を好きになろうとしてエッセイを書いている私は、今年こそは自分を好きでいられるかもしれない。

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なぜ私は書くことが好きなのか考えたことがある。その答えは一つではなくて、心の中で何年もかたまってしまって簡単にはほどけない感情が、グルグルと渦まいているというのが一つの理由だ。その感情は、なぜ私の心に舞い降りて何年もの間、ずっと停滞してきたのかを知りたいから書くことをやめたくはない。

中高生の頃は、誰かを好きになってお付き合いをして、やっと自分を認めてくれる人と出逢ったのだと、どんどん自信に満ち溢れていく人が同じ空間にいたけれど、素直に「良かったね」と言えずに、「それがどうした、何が言いたいの」と自慢を受け入れられずに嫉妬してしまう自分がいたことを思い出した。そんな泥臭くて人間だからめばえて仕方のない感情が心の奥底に生まれたのだけれど、それは何年先も私のなかに住み着くものであるということに成人した今、やっと気づいたのだ。そんな泥臭いところを愛せるのは自分しかいなくて、自分以外の人間に理解してもらえなくても、私だけは絶対に味方でいようと思えたのも、つい最近のことである。

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自分を大事にできない人は、自分以外の誰かを大事にできないという発想に対して、共感できるからこそ、私は今年中にそれができなくても長くて短い人生のなかで一瞬でも自分を愛することができたら幸せだと思っている。それがハッピーエンドな人生であって、私だけではなく今を生きている人々全員が望んでいることなのかもしれない。そして自分を好きになれたとき、初めて誰かの痛みに寄り添いたいと思うときがやってくるに違いない。

そのために12月になったら部屋の大掃除をするまえに、心の大掃除をしてみようと考えているところだ。卒業制作で書く恋愛小説のこと、それと並行して取り組んでいるオンライン授業の課題のこと、好きな本やドラマのこと、一年先の自分のこと。ここには書ききれない今考えていることを整理しながら、この一年自分が何をやり遂げてきて、何をやり残しているのかをゆっくり振り返ってみようと思う。

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そうすれば自分を好きになれるかもしれないし、数年後に思い出した時に自分を褒めたくなるかもしれない。この積み重ねが将来の自分を形作っていくのだとすれば、私の知らない私を見つめて対話できるチャンスを掴めるはず。小さな「やりたいこと」から大きな夢を膨らませようとするとき、周りではなく自分の心身に可能性を問いかけてみる。まずはその一歩を踏み出してみたいと私は思うし、近い未来の自分を想像するだけで小さくも大きな夢が生まれると信じたい。

こうやって自分を見つめ直していけば、今大事にしたい人と向き合おうとする余裕が生まれると考えられる。私にとって大事にしたいと思う人はたくさんいる。それは幸せなことで、きっと自分がこの世に存在している意味にも繋がるから、その想いはずっと大事にしていきたいものだ。大事な人がいて私がいる。私がいて大事な人がいる。

そう信じあえる日がくることを願って、私は今日も書き続けたいし、このエッセイが不安を抱えている読者の心を浄化していく光になってほしいという夢を託して、来年もコツコツ書きたいと思う。