気付いた人がやる。やらないなら文句は言わない。
それが家族における私の家事の理想。
汚れているなと思ったら自分でキレイにする。これが食べたいなと思ったら自分で作る。もうすぐ無くなりそうだなと思ったら補充しておく。身の回りの物を大事にしているならば自分で管理する。
文字に起こせば簡単なこと。一人暮らしなら当たり前に自分でどうにかすること。
でも家族、もしくは2人以上で住む場合、これが意外と難しい。
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私は一人暮らしを始めて、8年を過ぎたところだ。
それでも家族が大好きだから、大学生の時も社会人になっても3~4ヵ月に1回は帰省していたりする。他にも大学の長い長い春休みに一ヶ月ほど実家に帰省したり、会社を退職後半年くらい実家でひきこもり生活を送っていたこともある。
その間に私が何度も繰り返し感じた鬱憤を、一旦ここで消化させてほしい。
「母に家事の責任を負わせすぎだろ~!もっと自立しろ~~!!」
……よし。
文面通り、私の家は家事のほぼ全てを母が担当していて、父を含め姉妹は何か不満があるとすぐ母に強く当たっていた。
白状すると、私も実家を出る高校生までは同じような行動をとっていたと思う。ほんとにごめんなさい。
でも、自分のことを棚に上げるわけではないけど、高校生くらいの年齢までは親に甘えた子供として大目に見てほしい。だからといって強く当たっていいわけではないけど。
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姉も妹も高校卒業後はそのまま地元に就職し、25歳頃まで実家で暮らしていた。家族みんなで過ごす時間が好きな私にとっては、実家に帰れば家族が揃っていることが嬉しくて決して姉や妹にも早く一人暮らしをしてほしかったわけではない。ただ私が大学生になって、二十歳を迎えて、社会人になって、新卒の会社を辞めて戻ってきても、あまりにも変わっていなくて自立どころか子供のままで、まるでシンデレラと継母の立場が逆転したようだった。
そもそも私の家は、母だけは見下していい・何でもイジっていい・当たり散らしていいという雰囲気が子供の頃から気付いたらあった。それは母が昔から自虐エピソードを言ったり、母自身の自己肯定感の低さも一因になっていると思う。でも、忙しい中メイクをしたのに「え、それでメイクしたの?(笑)」と言ったり、一日頑張って働いたのに「そんな髪の毛で接客したの?(笑)」と言ったり、何か分からないことがあっても「自分で調べたら?(笑)」と、モラハラ感満載の、もしモニタリングでもされてたら炎上するような言葉ばかりを母が受け、そしてそれが悲しいことに私の家族の日常なのであった。
そしてもっと悲しいのが、その中で父はフォローするわけでもなく、和やかな光景として微笑みながら姿を消すことだ。私は父が料理はおろか洗い物をしているのも、トイレやお風呂、床を掃除しているところさえ見たことがない。ここ数年でようやく洗濯している姿は見かけるようになった。自分のものだけだけど。平日の朝、朝ごはんを準備しながら家にいる人のお昼ご飯を心配し、お風呂や床を掃除して、家を出るギリギリに自分の髪やメイクを済ませる母が作ったお弁当を、朝ごはんはタバコで済ませ、ものの数分で出発する父は、平気な顔で口に合わないものは残して帰ってくる。
とうに成人を迎え、家族全員が社会人となっても母への態度は変わらない。
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朝、余裕がない時に自分のものが見当たらないと金切り声で母に八つ当たりし、夜は料理の匂いや食感、盛り付けが少しでも気に食わないとすぐ文句をいう有り様だ。リビングに虫がいるのも、カビが生えているのも、家が汚れているのも、全て母の責任らしい。父に言ってるところは見たことない。
ここまでの内容で誤解されたかもしれないので、改めて言っておくが私は家族が大好きである。
ただ、HSPの影響もあって苦しくなる瞬間が多く、早くから一人暮らし願望があったのも事実だ。
私は家族で家事を分担してほしいとか、母に当たらないでほしいとかそういうことを言いたいんじゃない。というか、そんなのは今さら不可能に近い。シンプルに、自分が手伝ってない家事には文句を言うな、それだけだ。
今でも忘れられない記憶。
私たちがまだ子供だった頃、母はストレスのあまり、家を出ようとしたことがあった。
夕ご飯の準備中、お椀を思いきり叩き付けた母は、私たちが驚いてる間に見たことない表情でバッグに服を詰めていた。嗚咽交じりで何を言っているか分からないほど泣きながら、姉妹で必死に母を止めたのを覚えている。あの時、「行かないで!」と泣いてすがった純粋な心はどこへいってしまったのだろうか?この先もし母に万が一のことがあって、お別れの時に涙を流している家族を、私はどういう表情で眺めればいいのだろうか?
ああ、私のこのざらついた心もいつかは綺麗になるといいな。