大人になればなるほど何でも受け身になってしまう。
「好き」の気持ちを伝えるのも、「あれやりたい」を行動にうつすのも、「また遊ぼうね」の約束も、全部向こうから来たら受け入れるのに、と思ってしまう。
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子供の頃はこうじゃなかった。
「好き」があればそれ以上のしがらみなんてものはなくて、「やりたい」はむしろやらなきゃ気が済まなくて、「また遊ぼうね」は「明日も遊ぼうね」になっていて、どちらが誘ったとか、やるかやらないかとか、そんなものは気にしなくて良かった。
それがいつの日か、あの人が私のことを好きになればいいなと思って、でも自分からアピールするのは柄じゃないとか周りの目が気になるとか言って、向こうから好きになってもらえなきゃしょうがないかと思ってしまうようになってしまった。
断られたらもう立ち直れないかもと傷付くのを怖がっているのかもしれないし、上手くいかないことを想像して竦んでいるのかもしれない。
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大人になって、子供の頃よりも傷付かないように器用に生きようとするようになった。大怪我を負わないように高い所に手を伸ばさなくなって、本当はやってみたいことを人には話さなくなった。
本当に私が待っているのは周りからの言葉なのだろうかと思う。
そういえば最近、マッチングアプリが恋愛の主流になっていると聞く。
自分の写真やプロフィールを登録して、お互いの「いいね」がマッチすれば会話となり、実際に会うまでの道が進むらしい。
いいなと思う相手に「いいね」を送らなければ始まらない。
どう考えても自分には向いていないものだと分かるし、アプリをするような人は積極性のある人間なんだろうと思う。
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プロフィールを登録する時点で「私の良さは〇〇です」とアピールして、良い加減の写真、良い印象のものを選ぶ。
知らない人に良い悪いをジャッジされているのかと思うと、それはどうかと考えてしまうけれど、ずっと待って何もないよりかは、自分から「いいね」を送って始まる恋もアリなんじゃないか、とも思える。
「好きな食べ物は何ですか」
「今度〇〇に行ってみませんか」
「よければまた会いませんか」
そんなやりとりをするのかなと想像してみる。
想像してみると案外普通だし、恋をするつもりで出会った相手にならば、頑張れるかもしれない。少なくとも「私はあなたに興味があります」と伝わっているのだから、やり切らなきゃもったいないじゃん、と損得勘定が働くかもしれない。
それに、マッチングアプリを始めていざ自分のターンがきた時に「いや、私そんなつもりじゃなくて」はいくら何でも言い訳がダサい。
これは、どこかの誰かが言っていたような「幸せは自分で掴みにいけ!」みたいなことなのだろうか。
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私がずっとずっと待っているものは、もしかしたら自分で手を伸ばさなきゃ手に入らないものなのかもしれない。あの頃みたいに好きな人に「好き」と伝えてちょっと迷惑そうな嬉しそうな顔をされて、転んでも軽々立ち上がって、大きな声で「明日も遊ぼうねー!」と叫ぶようなもの。
向こうからの言葉があれば何でも受け入れるのにな、と思う気持ちはきっとずっとあるもので、だけど頑張ってみなければいけない瞬間があるのも事実。
受け身な自分と頑張りたい自分の感情をうまく擦り合わせて、「ちょっとだけ頑張る」ことにしてみよう。
相手からの誘いを待っていて疎遠になってしまった友人や、やってみたいけどなかなか始められなくて後悔していること。今ならまだ間に合うかもしれない。
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待っていてはずっと手に入らないものだらけなのだ。
マッチングアプリがどれだけ心を擦り減らすものかは分からないけれど、まずはご飯にでも行ってみればいいんじゃないかと思う。
待っていたやる気がやっと出てきた。