私の母は細かいことによく気が回り、細かいことを気にしすぎる性格をしている。

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例えば食パンの袋をあけたら、備え付けのプラスティックの留め具ではなく針金で止め直さないといけない。もともと付いている留め具では口が十分に閉まらず、パンがぱさぱさになってしまうのが嫌らしい。

食材が長持ちするといううたい文句のビニール袋を常備していて、スーパーで買ってきた野菜や果物を、すぐに入れ替えて野菜室に入れる。

テレビや雑誌で見つけた暮らしの知恵を持ってきて試しては、「こうした方が良いと分かっているのだから、ちゃんとやりなさい」という理論で押し付けてくる。たまに忘れると文句も言う。

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一方娘の私といえば、同じ血が通っているとは思えないほど、ずぼらを絵に描いたような性格をしている。そんなに口うるさく言わなくても、気付いた人がやればいいじゃない、そう母に言い返したくなる。疲れていて面倒になったり忘れたり、できないことは人間たまにはあるじゃない、と。

しかし私がこの議論に勝つことはない。母の細やかさのおかげで、大きなケガや病気もせず健やかに育ってきたのだから、感謝してもしきれない。それに一緒に住んでいる以上、家族がルーティンを守らなかったら最終的に仕事が増えるのは母なので、口うるさく言われて当然かもしれない。

一時期、私は一人暮らしをしていた。新卒から5年半、自分1人のことだけとはいえ、働きながら家事をやるのは大変だった。毎日残業続きで、家事をやる時間も気力も体力も残っていなかった。

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仕事から帰ってきてコンビニ弁当を食べて、寝て、起きてシャワーを浴びて仕事に行って。その繰り返しだった。

休みの日は洗濯をするだけでやっとだった。仕事のユニフォームを自分で洗濯しなければならず、仕事に支障が出るから洗濯だけはやる。ベランダに洗濯物を干したら、逃げるように街へ出かけた。

部屋で一人で過ごしていると、仕事のことを考えてしまって気が滅入りそうになるから、夜まで買い物や外食をして過ごした。家じゅうを掃除をするとか、1週間分の作り置きをするとか、そういう気にはなれなかった。

もっとちゃんとした方が良いのは分かっている。たまには自炊もした方が良い。掃除は週に一回くらいした方が良い。なんなら掃除は毎日少しずつやれば一番楽。

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理想の暮らしを挙げればキリがない。たまに気分転換でテイクアウトや外食もするけれど基本は自炊。週一回は掃除と洗濯を必ずする。ルームディフューザーで部屋をいい香りにさせて、本やCD、服など、自分の好きなものに囲まれて暮らしたい。

それに加えて、例えば「服が長持ちするたたみ方」とか「ジャガイモの皮でシンクを掃除するとキレイになる」とか、そういう「ちょっとした生活の工夫」をところどころに効かせたい。

現状は理想には程遠かった。やった方が良いことができていないどころか、最低限の生活もできていない。できない自分が腹立たしくてしょうがなかった。自分の生活を1つも肯定できなかった。

「こうした方が良いと分かっているのだから、やりなさい」。母の教えが頭にこびりついていた。そのひと手間で暮らしが豊かになるのに、できない自分は間違っている、そう思っていた。

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自分を否定し続けた結果、一人暮らしの生活は限界を迎え、私は仕事も辞めて実家に戻ることになった。引越しの手伝いをしに、母が私の部屋に来てくれた。

母は部屋に上がってあたりを見回したあと、所在なさげに「ここ座っていい?」と言った。どうってことのない些細なひとことかもしれない。でもそこで私はふと思ったのだ。「そうか、これは私の部屋であって、ここで行われてきたのは私の暮らしだったのか」と。

そんな当たり前のことに気付けなかったのは、会社が借り上げたアパートにずっと住んできたからかもしれない。私はただ、会社からもらった書類を持って不動産屋さんに行き、鍵をもらっただけ。物件探しをしたことはないし、間取りも場所も部屋の雰囲気も、自分が希望した条件は1つもない。

一人暮らしの物件探しというのは、自分が住む部屋を選ぶ中で、どんな生活をするか想像し、検討する時間だ。これからの生活は自分で作っていくのだという自覚を育む時間でもあるだろう。

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そういう手続きをせずに引っ越してきたからか、この部屋は会社のものという認識だった。自分の部屋という認識はないに等しかった。

ただ、部屋は私のものではないとしても、そこで行われる暮らしは他の誰でもない、私のものだ。育ててくれた両親のものでも、お給料をくれて、部屋を借りてくれている会社のものでもない。

私は、私のしたいようにすればよかったのだ。もちろん会社員として働く以上、仕事の時間や場所などを自分の意思だけで決めることはできない。それによってプライベートが制限されることもある。

それでも、自分の暮らしは自分のものだという自覚と、その自覚から生まれる「自分のしたいようにする」という自由を持てていたら、もう少し楽しく家事ができたのかもしれないな、今となってはそう思う。

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専業主婦を30年ほどやってきている母と、フルタイムで働いている家事初心者の私が同じようにできるはずがない。「そうした方が良い」と分かっていても出来ないことはある。道徳や倫理観をある程度持ち合わせた大人なのだから、自分の好きに暮らせば良かったのだ。

お掃除ロボットを買ったって良い。料理はしないと割り切って、キッチンにコーヒーマシンを置いたって良い。家の風呂が狭くて嫌だったら、近くの銭湯に通ったって良い。

それが実際にできるかどうかは置いておいて、あらゆる選択肢を広げておいて、自分の意思でちょうどいいところを選択していく。自覚と自由を持って、「やらなきゃいけない」ではなく「やりたいからやる」で家事ができたら、暮らしはずっと楽しくなるのかもしれない。