新幹線に3時間、在来線に30分、さらに巡回バスに30分ほど揺られている間、いつもなら居眠りをしてしまうところだが、この日はずっと目が冴えていた。

認知症を患う祖母は、3年ぶりに会う私のことなんてもう忘れているかもしれない。そんな不安が心の隅にこびりついていたからだ。

3年ぶりに訪れる、山のふもとにある物静かな住宅街。その一角にある、何ひとつ変わっていない祖父母宅の門をくぐる。
「よう来たな。まあ入れ」
出迎えてくれたのは御年85歳の祖父。3年前は灰色だった頭髪が、もうすっかり真っ白になっている。
祖父の後ろについて、夏ばでもひんやりと冷たい廊下を渡り、居間へ入る。
「こっちに座れ」
祖父はにこりとも笑わず無愛想だが、決して怒っていないことがわかる。座るように促されたのは、いつも祖父が座っているはずの、テレビがよく見える上座の席だったからだ。

誰かがやってきたことに物音で気がついたのか、祖母がどこからともなく居間へやってきた。
「あらあ、あやちゃん。久しぶりねえ!いくつになったの?」「26だよ」「そうなのネ。ほんと、大きくなって。背も伸びたわねえ、もうお母さんと同じくらいなんじゃない?身長いくつになったの」
おばあちゃん、私身長なんて10年は伸びていないよ……!

◎          ◎

そうだ、コーヒー出しましょ、と祖母がキッチンに向かう。

心配なので私も一緒に付いていく。インスタントのコーヒーを出す。見覚えのあるコーヒーカップを食器棚から取り出す。

湯沸かしポットが目の前にあるのに、使い方がわからないのか、お湯を探してキョロキョロしだす。
「おばあちゃん、私やっておくよ」「そうなの?ありがとう」
祖母は当たり前のように居間へ戻っていった。なぜキッチンに来たのか、もう忘れてしまったのだろう。

祖母の家に遊びにいくといつも出てきていた、ミルクコーヒー。何度も飲んだ、あの甘ったるい味を思い浮かべながら、インスタントコーヒーを少量の湯で溶かし、たっぷりの牛乳と砂糖を加える。

自分で作ったミルクコーヒーを持って、居間に戻り、さっきまで座っていた上座に着く。祖母が私の顔を見て、驚いたように言う。
「あらやだ、久しぶりね!?……にしても、まァ、ほんと、大きくなって……」
そう言いながら驚いた顔がほどけて、涙をこらえた表情へと変わっていく。そんなに感動されると、こちらも祖母に合わせるしかない。
「そうなの、さっき着いたの!」
「でもほんと、大きくなったねェ……それであなた、いくつになったんだっけ?」「26だよ」「そうなのネ。大きくなって、背も高くなって……」

◎          ◎

祖母が私の成長を喜んでいる横で、祖父はぼんやりとテレビを眺めている。不意に視線を私の方に向ける。
「今は仕事ばしとるんか?」「うん、去年就職したの」「なんの仕事ばしとうと?」「営業の仕事だよ」「え!?」「え い ぎょ う、だよ」「そうか……立派になったな」
ゆっくりと明瞭に話さなければ聞き取れないようだ。3年前に会った時よりも、だいぶ耳が遠くなっている。

 祖父と私が会話している様子を見て、祖母がなにやら思い出したかのように、私に声をかける。
「あなた、どこからいらしたの?」「大阪だよ?」「アラ!?大阪?そんなに遠くからねえ……」
いやに他人行儀だ。もしや、と思い、念のため名乗ってみる。
「私、孫のあやだよ」「あや……?」
不審そうな表情。
「そもそも私に、孫なんていたんだっけ……?」「えぇ!?」

平静を装わなければいけないと思いつつも、驚いて声が出る。さっきまで私のことを覚えていてくれたじゃないか。大きくなったねと涙まで浮かべていてくれたじゃないか。5分も経っていないのに、もう忘れられてしまったのか。悲しみよりも驚きの方が勝る。

「にしてもあなた、大きくなったわねえ!いくつになったの?」「……26」「そうなのね、にしても……大きくなって、ねぇ。背もだいぶ伸びて……もうお母さんとほとんど一緒なんじゃないの?」「うん、そうだね。お母さんは160cmで私は158cmだから。ほとんど同じだね」

◎          ◎

こんな調子で、祖父母宅にいる間に、祖母は何度も何度も私の成長に驚き、喜んでくれた。時々、私のことを誰だか忘れてしまいながら。

次に祖父母に会うのは来年のお盆休みになるだろう。その時には、おばあちゃんは私のことを2度と思い出せなくなっていてもおかしくない。そう考えると5分に1回、年齢と身長を聞かれるのも、そう悪いことじゃなかったのかもしれない。