幼稚園年少さんになった息子は、クリスマスの概念を完璧に理解した。カレンダーの12月24日には、ママが描いたサンタさん。この日がクリスマスで、パーティ。ごちそうが食べられる。大好きなケーキも。そして夜には、サンタさんが来てプレゼントをくれる。

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それはもう心待ちにしている我が息子。クリスマスはいつ?もう来た?と日に何度も聞いてくる。カレンダーを見なさい、今日はここ、クリスマスのサンタ印はここ。まだ、たくさんの夜を寝ないとだね。私と夫は何度も返事をする。

耳にたこができるほど繰り返されているが、クリスマスが待ち遠しいわくわく感も一緒に、この会話で確認しているのだろう。そう思うと、幼気な子どもに愛しさを覚える。

さて、息子はサンタさんへお手紙を書いた。電車のおもちゃをください、と。まだ文字を書けないので紙にクレヨンをぐるぐるしたものだけど。裏面には住所を書くとか言って、そっちにもぐるぐるしていた。芸が細かい。

「ママ、サンタさんに出してね」
そう言われて渡された手紙。息子の世界にサンタさんは存在している。それをはっきりと認識した瞬間だった。

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サンタさんは色々な所に出てくる。幼児向けアニメや絵本、数えきれないほど。数多のサンタさんの作品を見たり読んだりした。それらを積み重ねて息子の中に誕生したサンタさんは、どういう存在なのだろう。サンタさんは1人だけなのか、複数人存在するのか。住んでいるところはどこなのか。プレゼントをどうやって用意しているのか。とりあえず、住んでいるところはスノーフレーク村となっているようだ。

彼のサンタさんに矛盾がでないようにしている。一度判明したサンタさんのプロフィールは忘れないように、その後の会話で否定しないように。親子で存在を肉付けしていっている。サンタさんが存在する世界は、とても幸せなことだと知っているから。

「サンタさんって、パパとママなんでしょう?」
私は小学校低学年でサンタさんの正体に気づき、親に告げた。当然、次の年からサンタさんがることはなくなった。

クリスマスイブの夜。サンタさん来るかな、プレゼント楽しみだな。心がそわそわして、なかなか寝つけない。柔らかな毛布の端を手でいじりながら、寒い夜空を飛ぶサンタさんのことを考える。身体があたたまり、少しずつ目が閉じていく。意識が眠りに落ちる瞬間、最高に膨らんだ期待感。それが一番、クリスマスで好きだった。

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サンタさん存在しなくなったクリスマスは、味気ない。チキンもケーキも美味しいし、クリスマスツリーは綺麗だ。街もイルミネーションで華やぎ、買い物をしたら店員さんがサンタ帽を被っている。現実的な範疇で、楽しい。

そう、現実的だ。特別なんてどこにもない。真っ赤な服を着てトナカイのそりに乗る、ちょっと太った気のいいサンタさん。白い髭を蓄えている。彼の背負う丸く膨らむ白い袋に、欲しいプレゼントが必ず入っている。子どもたちのための、特別な魔法使いのような存在。

いつか気づく日は来るけれど、それまで息子のサンタさんを守りたい。かつて特別な存在に心を踊らせた私にできる、彼への誠意だ。親に、サンタさんになってしまったのだから。