緊張、それはいつだって自分の前にそびえ立つ怖くて高い高い壁であった。その壁を前に幾度敗れてきたことだろうか·····。自分はいつだって逃げ腰で弱虫の村人Bだった。
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年齢が増える事に緊張する事が増えた。元々そんなに緊張するタイプじゃ無かったハズなのに。なんでだろうって常々思っていたが、きっと一種の防衛本能みたいなものなんだとある時気付いた。子どもの頃はやりたい!やってみせる!のテンションだけで動いていたが、多くの失敗を重ねて人は自分の思いのままひとりでは生きていけないと思春期頃に知った。
話し合い、協力し合いが不可欠なこの人間社会。この過酷な戦場を生きていくには自主性だけを前面に押し出した武器だけでは中々に困難を極める。その武器は選ばれし極少人数だけが使いこなせる代物だ。事実、自分には使いこなせなかった。その武器を使う度に身体や心の痛みとして深く刻まれた。どうしたら良いか考えた結果、別のモノを携える事で自分の身を守る事にした。つまりは緊張である。やりたい気持ちに緊張という形でストップをかけるようになった事で、加えて考え方に深みが増したり、それによって選択肢が増えるようになって気づくといかに自分が楽か、傷つかないかを考えて動くようになっていた。武器では無く、盾を持つ事を自分は選んで人間社会の戦場へと飛び出したのだ。
何かやりたい事を考えると「もしも失敗したら·····」「最悪の結果になったら·····」そんな悪い未来や想像が止まらなくなって、それが緊張やプレッシャーとなって、押しつぶされそうになってしまう。頭がクラクラして動悸が止まらなくて、ついには吐き気まで出てしまう。だから、緊張とやりたい事を天秤にかけた時いつだって自分は楽な方へ楽な方へと流れていた。
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自分はどちらかと言うと不器用で融通の効かない人間だと思っている。シャツの襟に気がいかなくていつも誰かに助けてもらうし、1か0の行動力だから体力の限界を考えずギリギリまで動き瀕死状態になることもしょっちゅうだ。冗談も冗談だと理解するのに時間がかかることもしばしば……。だから、「上手い具合に」とか「なんとなく」の曖昧さのバランスを取る事が苦手でいつもどっちかに振り切ってしまうのだ。だから、やりたい気持ちを優先した時に起こりうる事態や失態を考えると恐怖でガタガタ震えてしまう。結果、「どうなるか分からないケド、やっちゃえ!!」とは思えず、やらないを徹底するという方にハンドルを振り切る事にしたのだ。
緊張の走るあのザワザワとした瞬間を味わいたくないから、その為ならやりたい事が出来なくても仕方ない、つまらなくても仕方ない。そう言い聞かせながらも毎日チリチリと胸が焼けるような苦しみを募らせていた。静かに減りゆくMPを見て見ぬフリを何年も何年もしてきた。
そんな自分が緊張と向き合えるようになったのはここ1年の事だ。最愛の推しに出会った事、転職先での個性豊かな素敵な人々に会った事、見た目や生活スタイルの変化·····理由は様々である。そんな多くの出会いや経験を経ていく中で自分の中にも変化が起きた。
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まず、夢ややりたい事を考える時間が増えた。実行するのは難しくたって考えるのは自由だから失敗や不安で緊張する必要はない。そう考えてまずそこから始めたのである。「こんな夢持ってもいいのかな?」「笑われやしないかな?」最初はそう思って緊張でドキドキした。こんな事で緊張するくらい自分の心は凝り固まっていた。
それでもそこで立ち止まらずやりたい事をたくさんたくさん羅列した。「痩せてあのワンピースが着たい」「推し君のライブを生で見たい」etc……。止めていた思いを堰き止めていた気持ちを次から次へと吐き出した。そうすると「考えてはいけない」という呪文は解けて、「考えるくらい良いじゃんね」なんて気軽に思えるようになった。それを皮切りに「じゃあ、これなら実際にやってもいいのでは?」「ちょっと始めてみるか」と少しづつ行動を起こし始め、ティースプーンくらいの小さな心の武器を片手に緊張の壁と対峙して少しずつ削り取っていった。気づくとある程度の行動なら緊張があってもそれも込みで楽しめるようになった。特にSNSへの緊張は大分和らいだ。
インスタや Twitter(X)を閲覧する事もましてや投稿する事さえも緊張していた自分が今ではある程度気軽に楽しんで閲覧したり、さらには好きなことや楽しかったことを投稿し、なんなら少しだけ人との交流もあったり!
もちろん緊張が消えた訳では無いし、投稿する時は何度も見返して粗相が無いか確認もしている。しかしながら、そこも含めてたまらなく楽しいのだ。だって、自分が叶えたかった夢が実現出来ているのだから。
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敵だと思っていた緊張は実は自分を守っていてくれた鎧だった。けれど、今の自分ならその鎧を少しずつ剥がしながらやりたい事にチャレンジ出来るのでは無いかと思っている。大丈夫、自分はやりたい事をやれるようになってきているから。
ここでエッセイを投稿したり、楽器を始めたり、大切な人々との出会いや会話を楽しんだり·····。緊張を超えた先にある景色は恐怖でも嫌なものでもない。失敗や後悔はあっても少しの前を向く力と夢があれば恐れる事は何も無いのだ。今の自分なら見習い勇者になれていると良いなと思う。
これからもきっと多くの緊張を感じながらもその緊張さえも愛おしく感じて生きていければいいのかなって思う。