どんよりとした曇り空のように心が重くなって、落ち込んだとき私はいつも「大丈夫」と自分に言い聞かせる。褒められて嬉しいとき、あんなに頑張ったのに褒めてもらえるどころか否定されてしまったとき、現実を受け止めきれないくらい悲しいとき。そんな感情を抱いて前に進めそうにないとき、「大丈夫」とつぶやくだけで荒んだ心が救われる。

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好きなことが嫌いになりそうなくらい行き詰ったときも、まずはそのことから離れて少し現実逃避してみる。そうすると、「大丈夫」だと立ち直れることがある。このまえ、来年度から取り組む卒業制作の合評会で先生方の厳しい意見が飛び交い、私はその勢いに負けそうだった。自分が書いた小説には、まだまだ自由さがない。

そう思い知らされながら、褒めてもらいたかったのにと欲張っていたことにも後悔した。それでも前に進みたい私は、大丈夫だと思いながら、なぜ「書く」ことが好きなのか。どうして恋愛小説を書きたいのか。そんなふうに自問自答を繰り返していると、悔しい気持ちがしずまっていく気がしたのだ。

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最近、朝ドラをみることを楽しみにしている私は、歌の力を感じることが増えた。現在、ブギの女王として戦後の日本に元気なパワーを与えた笠置シヅ子さんをモデルにした朝ドラが放送されている。戦争で弟をなくし、絶望に打ちひしがれながらも歌い続けることを選んだシヅ子さんの人生から、私も勇気と底なしの元気さをもらっている。

気分が落ち込んでどん底にいるとき「ブギウギ~」と口ずさむだけで、元気になれるパワーが湧いてきて、「また頑張ろう」と思える。底なしの明るさを見習いたいと尊敬しながら、シヅ子さんの歌への人生をかけた愛と揺るぎない力に感動させられるばかりだ。

プロでもない自分が書いた文章を褒めてもらえた時、それが活力となってさらなる前進を遂げられるのと同じように、シヅ子さんにとって歌を届けることが生きがいだったのだと思う。

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私にとって苦しいときのおまもりは、「大丈夫」という言葉と、失敗してもめげずに「頑張るぞー!」と立ち直る底抜けの明るさなのかもしれない。実際に失敗しても、力強く立ち直る人を見ると自分も負けてはいられないと奮い立たされる。そんな底抜けの明るさが欲しいと憧れながら、前に進む強さを一生かけて手に入れたいといっても過言ではない。今の自分に必要なパワーを手に入れることで、ひとつの道が開けるということを貫けば、一人前の人間に成長できるのかもしれない。

悔しさを原動力に変えることは簡単ではない。どちらかというと難しい。それでも、難しいからこそ立ち向かっていく価値があるはずだと私は思っている。文章を書くことは簡単ではないときもあるし、水を得た魚のように楽しくて仕方ないときもある。書いたものを最後まで読んでもらえて、褒めてもらえたとき、照れてしまうくらい嬉しくて、生きていてよかったとさえ思う。

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とても単純だけれど、「文章上手だね。」とか「すごい」と褒めてもらったとき、それを心のおまもりにしている。行き詰った時に必ず助けになるし、支えになる。そんな宝物のような言葉をいただけると、書いていて良かったと思える。書くことを諦めたくないと勇気づけられて、また書きたくなる。

書くことは考えることだと思い知らされている今、もっと向き合うべき物語が近くで紡ぎ出される瞬間を見逃したくはない。「大丈夫」と勇気づけられると、背中を押してもらったような温かさを感じるように、誰かの背中になれるような文章を生み出すことが私の夢である。そう思わせてくれるのは、手放したくない大切なおまもりたちである。行き詰るときのほうが多いからこそ、おまもりに救われながら生きる喜びを大切にしていきたい。