お店で食べた美味しい料理。言葉では表せないほどの美しい景色。何気ない日常や旅先での1枚。写真には、たくさんの思い出が詰まっている。笑顔が下手くそで10倍ブスに写ってしまうから、写真を撮られるのは苦手な私。でも、そういった思い出を撮影するのは大好き。撮ったものを家族や友だちに見せるのも楽しみ。

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実家にも、家族との思い出に比例するようにたくさんアルバムがあって、たまに写真を見ては懐しさを覚える。家族みんなが笑顔で写っている写真。はしゃぎすぎている私の、ぶれてしまっている写真。中学まで飼っていた犬の、ピンぼけしてしまっている写真。どんなものもすべてが思い出になる。写真は「思い出を残すためのもの」だと、私は思っている。

SNS映えのために、必死になってバズりそうな写真を撮る。友だちと一緒に撮った写真の顔の部分を、これでもかと言うほど加工する。自分を引き立たせるために、嫌がる人を無理やり一緒に写らせる。

そんな今の時代を生きていて「窮屈だな」と感じる。思い出なんて欠片もないし、何だか悲しい気持ちになる。また、周りの迷惑を考えずに所構わず撮影する人を見るたびに不快になる。

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少し昔の話になるけれど、私の友人でいつも写真を撮りたがる子がいた。大体は問題なかったけれど、時と場所によっては「良くないな」と感じたことがあった。

たとえば、レストランで食事をしているとき。突然「一緒に撮ろうよ」と言い出し、撮影タイムが始まる。周りのお客さんたちは撮っていても料理だけ。お店だって、SNS映えで売っているような所ではなかった。写り方を気にしながら何度もインカメで撮影。納得のいく写真が撮れて満足している友人とは反対に、私はぐったりしていた。気疲れしたし、私たちだけ目立ってしまって恥ずかしかった。

レストランの件はまだ良い方かもしれない。あるアンティーク雑貨のお店へ行ったとき、その友人はもっと暴走した。商品を見終わると、お店の人が近くにいないのを良いことに、店内の写真を撮り始めたのだ。

「さすがにまずいな」と私が思ったタイミングで、店員さんが気づいてこちらに来てしまった。「撮るのは止めてください」「他のお店でも同じこと言われると思いますよ」と怒られてしまった。「はーい」と言いながらお店を出る友人と、何も悪いことをしていないのに頭を下げて謝る私。今でも店員さんの迷惑そうな表情が忘れられない。

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自分のことしか考えられない写真の撮り方をする人がいることを、私はとても残念に思う。

昔よりも、新しいものや珍しいものの情報を得やすくなったし、加工などの技術が進んでより美しく写ることを求めるようになった。でも、これらを言い訳にしてはいけない。「マナーを守って思い出を残す」。誰もが心がけるべきだと思うし、私はこれからもずっと正しい写真の撮り方をしていきたい。