私の誕生日は12月25日、つまりクリスマスである。
ビッグイベントが重なるこの日は、幼い頃の私にとってとても幸せな日だった。朝起きたら誕生日プレゼントが置いてあって、1日中怒られることもなくプレゼントで遊んで、夜にはクリスマスケーキと誕生日ケーキの2つでお祝いしてもらう。すごく特別な日だった。
しかし、先月20歳の誕生日を迎える前日、私は「寂しい」という感情を抱いた。ふと抱いたこの感情に自分でもびっくりした。別に彼氏がいないから寂しいわけではない。(多少はあるが笑)
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クリスマスというイベント自体も大好きだ。特に今年はクリスマスマーケットに行ったりホームパーティをしたり、例年以上にクリスマスの雰囲気を楽しんでいた。
このモヤモヤはなんだろう…。
考えてみたら「お祝いされたら嬉しい」はずが「お祝いされなかったら寂しい」という思考になっていたことを感じた。
小中学生のときはクリスマスは必ず冬休みだったため、近所の親友2人がプレゼントを渡しに来てくれるだけで、それが当たり前だと思っていた。高校生の頃はクラスの仲のいい友達10名程がわざわざラインしてくれたが大学生になってからは少なくなった。
LINEの誕生日設定を解除して他人に誕生日がわからないようにしたことも原因にある。大学生になってまで自分の誕生日を覚えててくれる相手が少ないことはわかっているし、今の友人関係にはとても満足している。
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ただ、インスタのストーリーで誕生日を盛大にお祝いされている人たちを見るとなぜか自分と比較してしまう。一人一人の個性を出せるはずのSNSが「この姿が誕生日の正解」だと自分を縛り付けている。
同時に、クリスマスは皆にとって特別な日であるため、クリスマスという特別な日と誕生日という特別な日を分けて考えることができず、みんなの幸せストーリーに心がやられてしまうのではないかと思ってしまい、誕生日を迎えることが怖かった。
そんなナーバスな気持ちだった私が、結局誕生日をどう過ごしたのかというと、友達と一緒にクリスマスマーケットに行った。いざ当日を迎えて友達と会っていると全く「寂しい」という感情はわかなかった。その友だちと話している間はスマホから離れて純粋に楽しむことができた。
スマホから離れたことで、「インスタでこの幸せな瞬間を伝えなきゃ」という義務感に襲われることもなくなった。また、他人は自分のことをそんなに気にしていないことに良い意味で気づくことができた。
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SNSを通じてメッセージプレートやホテルでおしゃれにお祝いすることが価値の高いことだと思っていた。しかし、背伸びして楽しさを演出する必要はなかった。自分の記憶の中で「楽しい」と残るものがつくれればそれで幸せじゃないかと思えた。
誕生日前後の気持ちの変動を通じて「私は何と闘っているのだろう」と考えさせられた。世の中も「インスタ映え疲れ」の流れがあるが、まだまだ「映え」は若者の中心にある。
そんなSNS社会とうまく付き合うために、他人の目を気にするのではなく、今後は自分の心を「きゅん」とさせる映えを捜していきたい。
最後に。誕生日を一緒に過ごしてくれた友達へ、本当にありがとう!