私は、いわゆるハイブランドの物やファインジュエリーを身につけるような女ではない。例えばユニクロやGUなど、大衆に好まれるような庶民的な物が好きなのだ。駅で女子高生達が帰りにちょっと寄り道して買って帰るようなアクセサリーを、大切にコレクションして使うのが好きなのだ。高価な物が嫌いなわけではないのだが、有名なロゴのついたものを身につけるのはあまり得意ではない。高級品を身につけることで幸せな気分になれたら良いのだとわかっていながらも、自分が気取りすぎているのではないかと気になってしまう。そんな私が、唯一頻繁に身につけるファインアクセサリーがある。それは、ダイヤのブレスレット。
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ダイヤのブレスレットは思わぬ時に母からもらったプレゼントだ。私はよく知らなかったが、昔から日本には厄年に厄除けとして「長い物」を贈る習慣があるらしい。女性は19歳の時に初めて厄年を迎えるため、厄除けの長いものとして母から突然贈られたのだ。赤ちゃんに贈るベビーリングの習慣こそ知らなかった母だが、“厄年に何か長いものを贈る”というのは、どうしてもやりたい習慣らしく、「昔は帯や腰紐を送ってたけど今はネックレスとかかどうかねぇ」、と何度か言うものの、母に改めて贈ってもらうような欲しいアクセサリーがあるわけでもなく私自身はピンとこない。のらりくらりとかわし、いつしか忘れていた。そして20歳のある日もらったのがダイヤのブレスレットだ。さて、ここで19歳が本厄なのに20歳にもらうとは何事か、と思われたと思うが、母も、遅くなったけど、と気にする様子もなく、ここが血筋なのだろう、あまり拘らない性格はこういうところからもらったようだ。
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このようにして、ダイヤのブレスレットは私のところへやってきた。それは小さなダイヤモンドが一周ぐるりと配置されている、テニスブレスレットというものらしい。初めこそ、高価な宝石のアクセサリーをつけることに抵抗感があったが、いざつけてみると、控えめな小粒なダイヤで存在感があまりない割に、さすがのダイヤ、さりげない煌めきをまとい、自分の腕が華奢で上品に見えるような気がした。腕時計と一緒につければ隠れたり、長袖の下からふとした時に出てきたり、見え隠れするような存在感もちょうどいい。私はすっかり気に入って、最初は気合の入ったお出かけに、それからさらにだんだんと休日に気軽につけるようになった。
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ダイヤモンドのテニスブレスレットは、思いの他汎用性も高く、休日におしゃれ感覚でつけることもあれば、ある程度格式ばった場にもつけて行けて、緊張する場面でもこっそり触って勇気をもらった。気分を上げたい自宅で過ごす時間にもつけたり、色んなところへ一緒に旅行にも行った。厄除けのブレスレットだが、使う度にファインジュエリーを日頃からつける母の存在を思い出し、時を重ねいつしか私のお守りのような存在になっている。
似たもの同士だからか一緒に過ごすと反発もすることも多い母と私だが、母が大切にしているジュエリーというものを身につけていると、改めて私のことを大切にしてくれているのだと実感する。ダイヤモンドのテニスブレスレットは私を奮い立たせ、背筋もシャンと伸びる思いにさせる。どんな場面でもそばでひっそりと守ってくれているような気もするし、成長させてくれている気がする。母への感謝と愛を感じるお守りなのだ。