ピアノを習っていた。幼稚園の頃から高校受験前まで。
こんなにも長い期間習っていたのに今では全く弾けない。嘘だと思われるのも癪なので、高校以降に出会った友達には話したことがない。
両親によると、周りの友達がピアノを習い始めたのを見て「自分もやりたい」と言い出したらしい。どうせ一過性のものだろうと思った両親は「1年後もまだやりたいと思っているなら習ってもいいよ」と言ったそうなのだが、まさかの粘りを見せた私に根負け。私は晴れてピアノ教室に通うこととなった。

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ピアノの鍵盤を叩いたり、音符の勉強をしたり、楽譜を少しずつ読めるようになったり。ちょっとした曲を弾けるようになったり、一丁前に発表会に出たり、テストを受けたり、という風に、友達と共にたくさんの経験をした。

ただ私は練習するのが嫌いで、でも練習しなければ先生に怒られる、弾けないのも悔しい、だから行きたくない!やめる!と泣いて両親に訴えたこともあった。私が親なら「あんたがやるって言ったんでしょ!」と言いたくなるなぁと思うのだが、私の両親は「やめてもええけど、ほんまはやりたいんやろ?」と私より私のことをわかってくれていた。

そして私は「家で練習はしてこないけどなぜか毎週真面目にくる」という、やる気があるのかないのかわからない生徒として通い続けた。

習い始めた頃は、同じ教室に友達が3人いたのだが、塾に行くからと1人辞め、クラブがあるからと1人辞め、家の都合で1人辞め……と中学生になる頃には私だけになっていた。
もはやピアノを弾きに行っているというよりは先生と喋るために通っていた。学校の帰りに教室に行き、満足するまで先生と喋ったらちょっとピアノを弾いてから家に帰る。ほぼ学童。先生ほんとごめんね。
今思うとこんなふざけたことのために月謝を払ってくれていた両親には頭が上がらない。結局猫ふんじゃったも弾けない仕上がりになってしまって本当に申し訳ない。

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そんなピアノを習った経験から得たことが2つある。

1つ目は抽象的なものを愛せるようになったこと。
ピアノの楽譜にはたくさんの音楽記号がある。有名なもので言うとff(フォルティッシモ)は「極めて強く」というような意味がある。
発表会で弾く曲を練習していたある時、先生に「ここは馬が草原を走ってるような感じで!」と言われた。本当に何を言われているのかわからなかったのだが、自分なりに「馬……草原……パカラッパカラッ……」と頭に浮かべながら弾いたところ「そう!そういう感じ!」と先生から褒められて「こんな感じで合ってんの?!」とめちゃくちゃ笑ってしまった。

それと同時に、表現ってこんなぼんやりした感じでも伝わるんだ、と感動した。これは今思うと私にとって大きな出来事だった。

2つ目は記憶力が上がったこと。
先生のピアノ教室に通っていた子はみんないい学校に入ったらしく「楽譜の暗譜をすれば賢くなるよ」と小学生の頃から吹き込まれていた。
能天気なくせに変なところで真面目なところがある私はまんまとその気にさせられ、ピアノの楽譜を丸暗記し、その弾いた時の手を映像で覚えて弾いていた。覚えたはいいが、途中で間違ってしまうと立て直しができなかったし、楽譜を読みながらピアノを弾くこともできなかった。いいんだか悪いんだかわからない。
とはいえ、この映像で覚えるという能力は学校の勉強には活かすことができたので、小中学生の時は勉強で困ることはほぼなかった。ありがとう先生。

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今はピアノを弾くことはできないけれど、ピアノを習っていたおかげで、表現に正解も不正解もないのだと学んだし、おだてられて頑張ってみるのも悪いことじゃないなと思うようになった。これは、この世は白と黒だけじゃないよ〜と私の視界を暖簾のようにかき分けてくれたピアノとのお話。