友人の幅が広がって、自分の環境がいかに恵まれているか気づいたのは20代後半に入ってからのこと。
学生時代の友達は皆同じような環境だった。
親に愛されて、小さい頃から習い事をして、高校を卒業したら大学に進学して、みんなで就活の波に飛び込み、それなりの企業に就職する。多少道を逸れたと言っても男遊びが激しくなったり金遣いが荒くなったりそんな程度で世間からすれば全然可愛いもんだ。
接客業が故、お客さんとの出会いも日々あったけれど、カフェに来るようなお客さんだ。比較的生活も安定していて、人好きの人が多い。
つまりは25歳までの私は、出会いの数は多かったけれど、幅でいうと中間層、もしくはそれより少し上の人たちとしか接点がなかった。
そこの人たちとの会話は穏やかで、温かいものだった。
◎ ◎
仕事を辞めてからの私は急激に出会いの幅が広がり、職業、国籍問わず色んな人達との出会いがあった。
いわゆる勝ち組コースの人達でいうと、携帯ゲームに1日で300万課金してしまう社長や、アルバイトすらせず30歳を迎えたお医者さんの1人娘、可愛いの見つけたんだーと得体の知れない500万の置物をポンと買う人。テレビで見たようにテンションが上がってお金を投げてばら撒く人もいたし、逆にお金持ちなはずなのに一銭も他人に使わない人もいた。
逆の出会いもあった。家がなくお風呂にも入れてないおじいちゃんが同じぐらい困っている私にボロボロのお札をくれた。「貧乏暇なしだから」と、娘の為に毎日働いていたお兄さんもいれば、単に楽がしたいと働かず使わずの人もいた。
環境で言えば誰もが知っているアニメーションを作り、日々子どもたちに夢を与えている人や、忙しい合間を縫って恵まれない国の人たちを助けるボランティアに向かう人、これも逆で言うと裏社会に片足を突っ込んでしまっている人や、お薬の常習犯で「また明日」と言ったその日に逮捕された人。
別の目線で話すと、戦争中の国から安全な日本に子どもだけ移された子や、日本では敵視されがちな国の友人など、言えばきりがないのだけど、国籍も生活環境も収入も様々な人達と出会うことが出来た。
お金持ちだからといってドラマで見るような奥様だとは限らない。ブランド物に包まれたように見える小綺麗な貧乏人だっている。すごく優しい人でも突然犯罪者になるし、日本の底辺なんて世界の貧乏レベルで言うとまだ可愛いもんだ。
◎ ◎
現実はドラマよりももっと面白い。神様なんていないし、頑張ったから報われるなんてことは絶対にない。けれど夢みたいなことが起こるのもまた現実の面白いところだ。そんな面白さは、実際に経験した人からでないと聞くことが出来ない。
「世界を知るには新聞を読みなさい」「知識を得るには本を読みなさい」小さい頃からよいく言われた言葉。確かにそれも大切だけれど、それよりも、それらを体験した人の話を聞くとより「リアル」を知ることが出来る。
子供が見ても大丈夫なように切り取られた酷い現実や、モラルがどうのこうのという観点から隠される闇の世界、感覚が全く違うであろう外国人の思いや、同じ日本だよね?と聞きたくなるほど自分の環境とはかけ離れた日本社会の違う一面。
そんな世界の話を生の声で聞くことで、自分の中の「普通」が壊れ、新しい世界が見える。そうして見えた景色をどう消化するかは自分次第ではあるし、私の消化の仕方が正しいのかは分からない。
けれど、たくさんの世界を知ることは自分の視界を広げ、自分の人生により様々な選択肢や感情をもたらしてくれる。
「友達をたくさん作れ」
そんな面倒なことは言わない。
ただ、一期一会を大切にし、知らない人と少しでもコミュニケーションを取ってみると、予想もしなかった新しい世界が見えてくるようになるかも知れない。