私は小学校から中学校に上がって、周りについていけなくなった。
勉強の話ではない。中学校で初めて出会った人たちが当然のように語る恋愛事情があまりに大人で、今まで自分がいた環境とのギャップに気後れしたのだ。
私は12歳で急に、大人の世界に放り込まれた。
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私が通う公立中学校は、主に4つの小学校から生徒が集まる比較的大規模な中学校だった。他の小学校ではほぼ全員が同じ中学校に進学したが、私の小学校からその中学校に行く人は3割にも満たなかったと思う。仲のいい友だちのほとんどは別の中学校に行ってしまい、それだけで少し寂しく、疎外感があった。
だからこそ、同じ中学校に進学したわずかな友だちにひどく仲間意識を覚えた。実際中学1年生で親友になったのは、それまであまり関わりが無かった同じ小学校出身の女の子だった。
私の小学校でも恋愛の話は盛んに行われていた。「今は7人好きな人がいる」と豪語する友だちもいたし、友だちと好きな人が被ったこともあった。その友だちと好きな人を巡ってメールで大喧嘩した思い出は、干支が一周以上まわった今でも忘れられない。
告白した、あるいはされた話もそれなりに聞いた。合わせてその結果まで聞けることもあった。けれど私の小学校では、仮に両思いが成立してもその先が無かった。「好きです」と伝えて相手から「好きです」とお返しされても、嬉しい!となって終わり。
当時はそれが普通だと思っていたが、中学校に上がってこの恋愛の稚拙さを目の当たりにした。
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「付き合う」「彼氏」「デート」「身体の関係」……他の小学校出身者から出る言葉たちはどれも、当時の私にとって非常に遠く、非現実的なものばかり。両思いにその先があることは当たり前で、実体験としてごく自然に語られている。
みんながひどく大人に見えたし、自分だけまだ子どものまま取り残されているように感じた。それはきっと自分だけのせいではなく、私の小学校の文化にも原因があったことはわかった上で。
それでも私は気後れする様子がバレないように、興味は持ちつつ冷静に対応するようにした。「1組のあの子と5組のあの子、小学校のとき付き合っていたらしいよ」などの話を聞くと、妙に大人になった気分がして新しい刺激と興奮を感じたが、それらをグッと丸め込んで「へえ、そうなんだ!」と反応するに留めた。
自分が初めて擬似体験する非日常を、日常として受け入れるのに必死だった。
それと同時並行で私は、早くみんなと同じ土俵に立つべく「大人」の知識を入れるのに躍起になった。同じ小学校出身の当時の親友と放課後、当時はR18だと思い込んでいた漫画の卑猥なシーン(今思えばただの少女漫画)を一緒に見てはしゃいだり、お互いの好きな人について興奮気味に話したりした。
小学校の遅れを早く取り戻したかったし、それだけ中学校は大人な空間だった。
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学生のころは自分で自分が所属するコミュニティを選べる機会は少ない。行きたい学校を選べても、クラスメイトまでは選べない。「近くに住む同じ学年」という雑な括りの中でうまくやる必要があるが、だからこそ今までの常識を覆す出会いや新しい発見が生まれると思う。今思えば自分の中学校は十分「子ども」だったが、当時はずいぶん刺激を受けた。
大人になった今でも、新しいコミュニティに入ると一度は悔しい思いをする。自分の無知を思い知らされ、遅れていることを突きつけられる。それは決して気持ちいいものではない。
けれど今の私は、中学生のころのように必死になれているだろうか。みんなに追いつこうと頑張れているだろうか。まだ広げられる視界があるはずだ。