そのポップアップ表示が愛おしくて、「雨の日の毛先ってどうしてました??髪の毛、長い状態が慣れなくて…」の通知を不覚にも突っついてしまった。失礼があってはならないが、ここは的確なアドバイスをしたいとこちらがぐるぐる悩むうちに、おそらくあちらの画面では既読表示が不自然な時間を座して過ごしている。どうにでもなれという気持ちで「私は諦めだけはいいので外巻にしてました!その長さだと雨の日しんどいですよね」と送る。ラリーにかかるにしてはあり得ない時間を要して決死で送ったメッセージが私の心拍数を下げていく。

◎          ◎

彼女との最初の対話は手紙だった。彼女は文字通り「別の世界の人」「板の上の人」であったのだ。
その世界では様々な人と様々な「その人」との出会いがある。めて各々の「その人」を見た時の衝撃は、ある人は雷に打たれたとうし、ある人は花束を持った王子様が迎えに来たと言うが、私は「太陽を見た」であった。

太陽を見たその瞬間から始まった、根暗な性格と、彼女に観劇の感想・感動を伝えたい気持ちの拮抗が2週間続いたのち、私の手紙ライフが始まった。
初めて買う大人なレターセットと何十回も推敲した下書き、数種類買って開催したどれが一番書きやすいか決定戦を勝ち抜いたボールペン、どれも2021年の19歳には似合わないシチュエーションであった。初めて彼女の名前を書いたあの瞬間や、ポストに投函した後の「やっちまった」感は生涯忘れることは無いだろう。

◎          ◎

ほどなくして彼女から身に余るようなリアクションを受け取り、その後も手紙は続いた。手紙を読むのさえきっと時間外労働になるから、あまり高頻度に出すのはだめで、且つあまり手紙の枚数が多いと負担に感じるかもしれないから出来るだけ簡潔に。文章表現がマンネリ化すると読んでいてダレるから、失礼が無くてそのうえできるだけ引きのある言葉を混ぜ込む。
定期的にもらえる彼女からのリアクションの返事から手紙の距離感を掴んできたところ、彼女は板から降りる決断をした。正直、彼女の舞台上の姿以上に人間的なところを羨望していたぶん、あまりショックではなかったのだが、やはりその日が過ぎ、手紙を送る先も受け取る返事も、なにより相手に本当に届けたい言葉と向き合う時間を失ったと自覚した時に事の持つ辛さが身に染みたのだった。

◎          ◎

その日から数か月経ち、彼女はSNSを始めた。教授に締め上げられ疲弊しきった精神に、彼女の元気な姿を映した写真は、あの時と同じ太陽そのままに輝いてくれた。

2時間悩んでDM欄にメッセージを送る。絵文字の量は適切か、そもそも私の事覚えているのか、DM送って不快に思われないか、あの時と同じ感覚だ。数十分で彼女から返信が来た。驚いたことにSNSのプロフィール上では平仮名表記にしていた私の名前も漢字付きで覚えて返信をくれた。また彼女との文字のやり取りが始まり、私の「お手紙ルール」には新たなルールが加わった。
DMを読むのもきっと疲れるから、あまり高頻度に送るのはだめで、且つあまり文量が多いと負担に感じるかもしれないから出来るだけ簡潔に。文章表現がマンネリ化すると読んでいてダレるから、失礼が無くてそのうえできるだけ引きのある言葉を混ぜ込む。加えて、既読つけたまま数分放置は怖いから、返信は通知で確認して、既読を付けたらすぐに返信する。

文章だけのやりとりは本当におろかで、美しい。言葉を武器にした優雅なだけの攻防戦だ。昔の人も私と変わらず言葉遣いにウンウン悩んで、送った言葉に「やっちまった」を感じたこともあっただろう。
そういった言葉の駆け引きに加わった「既読」という存在。私たちの文章戦争にスリルをもたらす火種として、煩わしくも愛おしく感じる。