とある芸能人が亡くなった日の夜、焼鳥屋で友人と会っていた。

関西に住むわたしは、関東で開催される展示会で働くために前乗りをし、タイミングよく会えることになった友人と3年ぶりに飲もうとなったのだった。ねぎま、せせり、たまひも、レバー。オーダーを済ませ、ビールジョッキで乾杯をする。

「そういえば、あの人亡くなったね」。何の気なしにそう言った友人の言葉が全く咀嚼できず、「どういうこと?」と、聞き返す。「いや、だから、死んだの。自殺」。無言でニュースサイトを開くと「速報」という文字とともに彼の訃報が掲載されていた。

まだ20代の彼が、本当に最近まで活躍していたしすごく元気だったはず、えっと、なんで?本当に?嘘だよね?これほどまでに現実として受け入れられないことに困惑した。スマホの中に表示される「速報」にだけ焦点が合って、店内のざわめきは遠い音のように聞こえる。

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「たまひも、ちょっと多めに入れといたよ」
気付くと目の前には店員のおばちゃんが優しい顔をして立っていた。たまひもを多めに入れてくれたらしく、その言葉で現実世界へ引き戻される。

「えー!嬉しいです、ありがとうございます」
心の中のざわめきは消えていないけれど、笑顔を作って最大限に嬉しそうな声を出す。そんなことは簡単に出来る。悲しい時だって、別に笑える。辛くても、お腹はすくし、喉は乾く。たまひもを食べると口の中でプチっとはじけ、卵黄の濃厚さと甘いタレが舌へとまとわりついた。美味しいねと友人と言い合って、ビールを飲む。「最近どうしてた?」と話題は逸れ、お互いの近況報告をする。心の中に残る悲しさばかりを優先していられない。頭のすみっこに逃がした現実は、目の前の友人の話しを聞く邪魔をする。何杯目かのハイボールを飲みながらアルコールが染み渡るにつれて、夢なのかもしれないと思い始める。そうだよ、夢だよ。だって辛すぎるもん。「最近Mに目覚めた」と、自身の性癖を語り出す友人に「てかSだったんだ」と笑う。なにもかもさらけ出せるわたしたちには分からない苦悩が、彼にはきっとあったのだと、すみっこに逃がしたはずの現実がまた顔を覗かせる。

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ホテルに戻ってシャワーを浴びてスキンケアをする。顔にシートマスクを貼り、ハイボールの缶をぷしゅりとあけて、飲む。じわっと涙が溢れて、シートマスクが吸った。効率的だなこれ、とか考えて、また悲しくなって、それでも明日は仕事があるので眠りにつく。本当に、夢だったらいいのに。

翌朝、目が覚めてニュースサイトを開く。相変わらずトップページに表示されている訃報に胸がギュッとなり、小さく深呼吸をする。仕事の時間に合わせてホテルをチェックアウトし、駅へと向かう。人の多い電車、急ぐサラリーマンたち。押されるようにして降りる。会場で設営をして展示会が始まる。人材不足を解消したい経営者や人事部の人たちが、良いツールはないかとキョロキョロしながら歩き回っている。わたしの担当するブースの前で立ち止まった人と名刺交換をして、採用に関する悩みを聞いて簡単にアドバイスをする。後日連絡しますねと言って話が終わると、また新しい人が目の前に現れて名刺交換。

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昨日、彼は死んだ。なのに、なんでこんなにも当たり前のような今日なのだろう。天気は良いし、来場者数はとても多いので展示会としては大成功。みんな活発に自社を良くしようと頑張っている。だからわたしも笑顔で名刺交換をする。貰った名刺の裏にボールペンで星マークを書く。星マークは商談に繋がりそうな案件という印。こんなにも悲しくて辛いのに、こんな世界に辟易しているのに、今後に繋がりそうなビジネスチャンスは忘れない。思考と気持ち、自分の行動の不一致に崩壊しそうになる。なんて言っているけれど、そんな簡単には崩壊しないことも分かっている。

帰りの新幹線の中、缶ビールを飲んで一息つく。ニュースサイトを開くとやっぱりまだトップページにそのニュースはある。その下に「芸能人の訃報が辛い方へ」という記事を見つけてクリックする。そうだよね、わたしだけじゃない。みんな辛い。辛いけど、今日も明日も明後日もやってくる。お腹はすくし、喉も乾く。明日は営業メールを送りまくろう。そう思考をシフトさせて、いろいろな現実をゆっくりと咀嚼する。誤飲したり、嘔吐したりしながら、少しずつ飲み込めばいいと思う。